ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

年賀状やめました

暮れも押し迫ってきました。毎年、その辺の道端で年賀状を売ってるのを見る頃ですね。

私は去年から、年賀状を送るのをやめました。

なぜか? 

もともと年賀状のやりとり自体がだんだんと少なくなってきていたし、毎年毎年CMなどで目に入る「年賀状を書こうキャンペーン」みたいなものにわずらわしさを感じたから。

見たくないし聞きたくないのに溢れ出てこちらに迫る情報

それに知らず知らず振り回されてしまうことに反旗を翻した、というとおおげさですが、とにかくもう乗せられない!と決めました。

そういえば毎年毎年「大掃除しようキャンペーン」みたいに掃除情報がわんさか出てくることもわずらわしいです。掃除くらい自分のペースでさせてくれよ…

年賀状=年末年始の準備=慌ただしい、気ぜわしい、ペースを乱される=面倒だ、考えたくない

私にとってはこんな図式になってしまいました。

こうしたイベントごとは普段の生活に加えて、考えたりなんらかの準備をしないといけないので、私には余分にエネルギーや労力が要ります。

12月に入るととたんに世の中も忙しさを強調し始めます。新しい年を迎えるためにやり残したことないのか?することいっぱいあるんだよ!と追いかけられている気分になります。

クリスマスはなにか用意するのか、おせちはなにを作ろうか、その食材もプラスして買いに行かなくちゃ、いくらなんでもちょっとは掃除しとかないと、あたふた…落ち着いてすればいいんでしょうけど、正直もうそれについて考えることもしんどい。

いえね、楽しめる方はされたらいいと思うんです。年賀状だけのやり取りであっても、ひとりひとりに向けて来し方行く末を想ったりすることっていいなぁと思います。

でも自分にも時間にも余裕がないのにそっちに気持ちは向かない。だけどやらなきゃ、という義務感で何十年も来て、いい加減嫌気がさしました。年賀状が「虚礼」だと感じるのもこの義務感からくるのではないかな。しなくちゃならない、して当然、という枷は外します。

…といって送らないことが無礼だとは私は思っていません。年賀状は送りませんが、送ってくださった方やどうしてるか知りたいと思う方にゆっくり時間を取って「寒中見舞い」を書きます。好きな時に書きたいから書くので、ご返信などがなくてもなんら気にならない。

今年は年賀状来なかったから書くのやめようか、といった取捨選択をするような気分にはならないです。自分側から相手との関係性を考えられることで、気持ちの余裕が持てました。