自分でいることを受け止める
自分を客観的に見ることって、できますか?
いくら発見があっても、それに気づけた私はすごい、と言ったとしても、たった一言のその「すごい」以前に何十倍何百倍もダメ出ししてますよね〜、自分に。自分にダメ出しするのは他人じゃない、自分。
自分のしていることを客観視できてないからだと思うのですが、人と比べて私なんてまだまだ、と言ってしまう。
その比べる人も勝手に設定した「なんかすごい人」で、実在しない理想の人、みたいなものなんですよね。
冷静に考えてこうだ、とか、客観的に見て、とか言ってたのが恥ずかしいくらいに、自分自身のことは見えてません。
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客観的に見られたら、自分ができたことは認められると思う。できてないことは責めるのではなくて次へつなげる改善点、反省点だと捉えられると思う。
ものさしが他者。といっても勝手に作り上げた「なんかすごい人ものさし」で測るから、いつまでたっても自分を信じてあげられない。
私の一番の味方は私なのに。私を守ってあげられるのは私なのに。
私のために今日も身体を動かしてくれてるのは私だ。息ができて、ご飯が食べられて、笑えて、泣けて、すごいことしてる。私にとってすごいことをしている。
あと何年生きられるかわからないけど、最後までつきあってくれるのは自分自身。
なにかを始めたりやめたり、進んだり休んだり、困ったり迷ったり、悩んだりすることぜんぶ、私が決めていい。
自分自身でいることは、苦しいことじゃない。私であることを受け止めたい。