ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

いったん信じてみた

いろんな人がいろんなことを言っている話。つづきです。

はえいや、という気持ちでいったん信じてみたんです。自分の声もわからない状態だったから。

善悪、正しい正しくない、好き嫌い、そんな自分の基準もよくわからなくなっていました。どこかから借りてきた「世間的には〜、一般常識では〜、といった思想」をそのまんま鵜呑みにして、これが合ってる、と思い込んでいました。

それに対していやだなんてことも思わないくらい、従うべきフツーのルールだ、とか思ってました。従っておけばラクだし、自分は正しい相手が間違ってる、と公明正大に言えますもんね。

ガッチリ信じ込んで私は間違ってない、と思っていたけど、でもちょっと待て待て、それ本当? 私の思うことなんて、そんな大層なもの? 必死にしがみついておくもの?

そして、世間がとか、親がとか、みんながとか、本当にそんなものいるの? 自分で吟味せずただ流されているし、しかもそんな理想の人間みたいなもの、どこにもいないぞ。ちゃんちゃらおかしい。

怖かったです。自分のガッチリした理想ルールに疑いを持つのは。

ちょっとぐらい揺れたって、ルールがガラッと変わったってどうってことないのに、そのルールを持っていることで自分を守っていたんです。

自分が変わることや、今までのキャラクターを脱ぐことは、怖かった。

いろんな人が言っている「手法」を試してみました。いろんな人のブログも読んでみました。

たくさん読むと、その人の書き方や言いたいことが積み重なって理解できるようになりました。そうしていくうち、内容が私には合わないとか、言うことはいいけど余計な文章が多くて読みづらい、と離れたものもあります。また、乱暴な書き方をしている人の文章はいくら素晴らしいことを言っていても、心にまったく届きません。

こうしたブログや自己啓発の本などは、通過点に過ぎないのでしょうね。必要な時に自分の中を通り過ぎていく。

あくまでも、自分にとって心地よい、と思えることを取り入れていけばいいのだと思います。人がいいと言っているから自分にもよいとは限らないし、自分中心に判断してよい。

しかし、自分の基準を持つってなんて難しいんでしょう。自分の判断に、自分の人生に責任を持つ、という覚悟をきめなくちゃなりません。自分を取り戻して生きるって、パワーがかかります。

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まだ手探りだし、進まないなぁって思うこともしばしばです。けれど、螺旋階段を上るように成長し進んでいるんだ、と自分を信用して日々を過ごしています。

自分で選んで自分で決めるって、とても厳しいし楽しい。

でも、生きてるって感じがします。