HSPだらけだった
こんにちは。
ごく最近お付き合いを始めた方々、お知り合いになった方々がいます。
以前から知り合いだけど友人として話せるようになった方、会いたくて会いに行った方、集まりで偶然出会った方、などなどご縁を大切にしたい方々ばかりですが、ほぼ全員「HSP」でした。(驚き)
HSPのチェック項目に私は懐疑的なので、具体的にどれに当てはまったかなんて確かめてませんが、
人混み(サークルや会合などの複数人がそれぞれしゃべっている場合も)に行き、精気を吸い取られたか使い果たしたかで疲れ果てて帰ってぐったり、なんて、HSP以外の何者でもない気がします。
この近辺にどれだけの人口がいるのか知らないですが、見方を変えればHSPはだれでも当てはまるし、だれにも当てはまらない、ということを再認識しました。
思えば私の母も、病人のお見舞いに行って(何かがついてきたのか)帰って動けずぐったり寝込む、ということが何度かありました。
前の夫は音に敏感すぎて、快適な生活を求めて引っ越しばかりしていました。
今の旦那さんはHSPでありHSSでありエンパスです。
…といいますか、どんなチェック項目に当てはまろうと、その人の「個性」じゃん!と思います。
現に、HSPという概念を知らない方は仕方ないとして、知っているという方々が、「(HSP概念は)なんか違う」「それはそれでいい」、というスタンスなことにまた驚きました。私が聞かなければ、会話に出てくることもない。会話に出してもそれ以上広がらないし、「それで?」といった感じ。
悩まれたことがあるかどうかはわからないですが、現在は自然に受け入れている。…HSPを逃げ道としてないし、大げさに捉えていない。
ものすごく学びました。それぞれの人々のそれぞれの発言や受け答え、表情、知識、経験、そういったことから実地に見て聞いて感じて、学びました。
私の出会ったHSPさんは、母や前夫も入れますと、全部で15名ほどです。もし半分だとしても、私ひとりが1年間ほどで「初対面で」出会い話す人数としては多過ぎるくらいです。
ただ出会っただけなら50人ほどの方がいますが、それでも割合として多いのじゃないかなぁと感じます。
HSPだらけだ。
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HSPを、自分を証明するための切符みたいに扱って、それに固執して、「私はこんなだから認めて!」と叫んでいた、その頃の自分は、今の自分を想像できなかった。
抜け出られて、心底よかった。自分のことを引き受ける覚悟を決めて、心底よかった。執着や、他人目線を手放せて、本当によかった。
私には、周りにこんなにたくさんの「お手本」「先輩」となる方がいる。上も下もわからずもがいてきて、ふと顔をあげたら予想もしなかったご褒美をもらえた感覚です。
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少し前までは、HSPと名乗る人の中に以前の自分を見つけて嫌な気分になることもありました。HSPなの、苦しいの、かわいそうでしょう、だから仕方ないの、かまって!といった“HSPを免罪符にしている”声を聞き取ったように思えて。以前の自分を映していたんですね。
でももう、そんなかわいそうぶる私も私だし、それをスタートにしてもいいから、私は私のことをやっていこう。こんな風になりたい、と思える方たちをたくさん見つけたし、それを目指そうって決めたから。やっと本当にこだわりを捨てて、気にしないようになっていけそう。いや、なっていくと決める。私はこれからもっと自由になるよ〜!
今苦しい人たちも、それぞれのタイミングで羽ばたいていかれるといいなぁと思います。