ことりのように

旦那さんと文鳥とオカメインコと暮らしています。日々のこと、思うこと。ことりのように自由にはばたいていきたいです

インプット・アウトプット 2

こんにちは。先日の続きです。

私にとってのアウトプットは、情報や気づき、考えたことを出す、ということでした。

今回はアウトプットの別の側面「感情を出す」ということについて。

 

…といいつつ、もともと私は「感情を感じる」ということがよくわかりません。苦手と言ったらいいのか、なんだか非常にぎこちない。感じにくいものだから、それを出すことも苦手なたちです。
内から湧いてきたものが一体感情なのか? 思いなのか? 考えなのか? と悩んでいる間に、湧いてきた瞬間の鮮やかさは消え去り、しばらくたってあれは感情だったのかなぁと考える、そんな感覚です。

複数の人と話している時など、同じように迷っている間に次の話題に移って置いてかれてることもよくある。

 

うんと小さな頃はこうじゃなかったんだろう、多分。でも小学生以降はなんかボーッとした、あまり感情をおもてに出す子どもではなかった。暗い子、何考えてるかわからない子、と母親に言われたことが何度もある。(ひどいな)

だからといって、内面も何も感じてなかったわけではないと思う。母親にそんなこと言われて傷ついたし、でも「感情的」な状態にはどうしたってなれないし、だから何も言われたくなくて演技したり、余計に気持ちを出すまい、となっていったような気もする。

高校生になってから、ようやくものごころついて、こんな「暗い子」はいやだなと、努めて、楽しい・面白いを外に出すようにしてきた。明るい声でアハハと笑ったり、人と話す時は多くあいづちを打ったり共感の言葉をかけたり。

人と話す時に手のひらを広げて机に置く、といったことも意識的にしていた。文字通り、手の内を見せる、というようなオープンな気持ちでいた。はじめはドキドキで、ドーンと当たって砕けろという気持ちで臨んでいた。

文字も、努めて大きくのびのびと書くようにしたり、歩く時も大股ではつらつと歩くようにしていた。自分の内側から広げていこうとする感覚だった。
努めて一生懸命やっていたら、できるようになった。そうして、自分を作ってきた。

それが自我の表出だったのか、母の呪いだったのかはわからない。私は私の考えでそう行動したのかな。暗い子だって思われたくなかったのかな。わからない。でも変わったことは母親にもわかったらしく、とたんに「明るくなってよかったわー」とか言ったな。こんな「演技的な私」の中身を理解することなく、表面上の私によかったとか言ってる。なんだ、認めてほしいと願っていた母親ってこんなもんだったのか。たいして嬉しくないな。もう、自分の感性を押し付けてくる母の理想とするような私にはなりたくないな。けれども努めたかいあって、実社会では人や場に合わせて明るく振る舞うことができる私ができていった。

 

私が本当の意味で感情を出せたのは、実家から出た時だ。正確には今の旦那さんと再婚して以降だ。だから8年くらい。

それまで自分はネクラだと思っていた。心底暗い人間なんだと思ってた。

ぜんぜん違いました。今の旦那さんと再婚して、はじめて自分の根っこの明るさと、感情がいろいろとあることを知りました。そして、演技しなくていいことを知りました。楽になったし、自然に笑えたし、飾らなくなった。すぐに自己否定するクセはなくならなかったけど、ずいぶんと手枷足枷が外れた。

そして「暗い」私を、私自身は好きだったことに気づいた。「暗い」とひとことで言っていますが、「遠慮深い」「思慮深い」「軽はずみでない」「おとなしい」「静か」「穏やか」といった、私がなりたい、と望むような素晴らしいところがたくさんあるのです。

 

「感情を出す」ことは私には難しい。今までの来し方を振り返るに、どうしても子どものころのことが出てきて、よって母のことも出てきたが、今はそこまで恨みに思っていません。好きではないが、母なりの愛情表現だったのかもしれない、と判断はできます。(いやだけど) 

母がきっかけではあるけれど、でも一生懸命に努めて、自分を作ってきた「自負」はあるのです。

初めは母や人の目を気にしてやっていたけど、途中から、自分を広げることが自分の充実になることに気づいて、不器用に試行錯誤してきたその「自負」は、今の私の「自信」と「強さ」になっている。ちっぽけなものだけど、私だけのものだ。

 

しかし「感情を出す」話から母のことになって、いまだひっかかっていることが大いにあるんだなと気づきました。母もしくは私が死ぬまでになにかの答えが出るのかどうかはさておいて、考える時期が来ているのかそれともお盆という微妙な時期だからそんなことを思ったのか。

 

「感情を出す」ことは、まだよくわかっていない。出せたらいいし、出せなくてもいいや。それが私なんだから、それでいいんだ。