他人の目線って
こんにちは。
この間、旦那さんのくつしたの毛玉取りをしてた時、思い出したことがあります。
だいぶ前に何かで読んだかエッセイだったか忘れましたが、いい歳の男性が言うんです。
宴席かなにかで、同僚の男のくつしたが毛玉だらけなのを見て、「こいつの身の回りを気にかけてくれる女性(奥さんとか)はいないのか、無様だ、かわいそうに(それに比べて自分の妻は家事をちゃんとしてどうのこうの)」とかなんとか。
それを読んだ時、このおっさんのアホみたいな虚栄心、アホみたいな優越感、器の小ささ、に腹立ちを覚えました。でもまぁこういう気持ちもわからんでもないですが。
てゆーか、その男に奥さんがいたとして、その女性は気にしないたちかもしれないですよね? もしくは病気がちとか事情があってできなかっただけかもしれないですよね。 他にも理由はいくらでも考えられますが。それで思ったんです。
うわっ、こんなせせこましい、人を見下すようなしょーもないおっさんの価値観で私を測られたらたまったもんじゃないわ!
そういうことですよね。他人の目線を気にしたら、こんな自分とは相容れない人間の言いなりになりかねん、ということですね。
これは極端な例かもしれないですが、大なり小なり似たようなことに支配されてしまいがちなんですよね。
そして、自分の目線というのも、このおっさんと大なり小なり似たようなもんだということですよね。一貫性もないし、自分の経験だけから見た小さな狭い目線ですし。
カチコチに固まった目線をほぐすのは時間がかかるけれど、もう、そんな小さい狭い世界にこだわるのはやめよう。捨てられなくてもいいけど、こだわらなければいいよね。一個しかない、と思い込まなければいいよね。
私が自分のその目線をどう感じるか、どう思うかで決めていこう。そしてできたら、たくさんの違う方向からも見てみたいな。
いつも同じことを言ってますね、私。実は、言い方を変えて、自分に言い聞かせています。
練習するのみなのですが、すぐに忘れてしまって元に戻ろうとしてしまうんですね。楽だから?面倒臭いから?
あの、自由だと感じた時の内面から溢れたよろこびやおそれ、一気に内側が広がって意識が宙を突き抜けていったような感覚、これはまだ心と身体に染みついています。
生きることのちからってこんなに熱くて頼もしく、嬉しさがあるものなのかと思いました。
だいじょぶだいじょぶ、一歩ずつ進んでる。はじめの一歩は力が要るものさ。
さて冒頭部分ですが、けっしていい奥さんアピールとちゃいますよ!
化繊のくつした(ユ◯クロ)はすぐ毛玉できますよね、そして私は毛玉取り器をもくもくと動かすのが好きなのです。ラグとか延々とやっててじきに穴が開くんとちゃうか、と思います。
快晴、風強し!