ことりのように

旦那さんと文鳥とオカメインコと暮らしています。日々のこと、思うこと。ことりのように自由にはばたいていきたいです

最近の気づいたこと

こんにちは。いつもありがとうございます(^-^)

今日は、最近気づいたことについてです。

 

 ◇自分の範疇にないものでは勝負してない

夜、車に乗っていて、旦那さんが遠くを見やって「山の稜線に(何かの施設の)光が見えるね」みたいなことを言いました。

私は、ものすごく目が悪いです。視力(0.01くらい)だけでなく、軽い乱視、夜はひどく見えにくい鳥目、さらに老眼がやってきた?と最近感じる、目が悪い歴30年以上のおばさんです。(近視だから、老眼がやってきたら中間地点で逆によく見えるようになってくれへんかなぁと都合のいいことを願っています。)

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たとえば眺めのよい場所に行き、遠くの方に何があって…、とか、街中で向こうの方にある標識とか説明されてもほとんど見えていません。

ですので、ほとんど聞いていません。よそ見しながらふーん、ってなもんです(失礼)。

そこで気づきました。「ラクだな」

そう、自分に備わっていない能力では、そもそも勝負してないんだということ。焦りも、嫉妬も、負けたという悔しさもないんだということ。逆に、いたわりといったものも求めていない。

私にとって視力は悪いのが当たり前でして、それがほしいとあがく対象でもなく、といってないからつらいと嘆くものでもない。

だって仕方ないですよね。この「仕方ない」は諦めの言葉ではなくて、「ないもんはないしね」とカラッとしたものです。

これが他のことにも及べば、力を抜いて生きていけるなぁって思ったんです。

◇創作ダンスの苦痛からの立ち直り

大げさなタイトルですね。古い話題なんですが、私は運動全般が苦手で、学生時代の体育は苦痛でした。

「創作ダンス」、やりますよね。あれも、リズム感はないし、頭と身体がバラバラでぎこちなくてガクガクしてました。

練習中、クラスメイトにも動きが変だと笑われました。自意識過剰な思春期の時期でしたから恥ずかしかった。でもまぁそれも仕方ない。他の子と比べれば一目瞭然でしたのでできてなかったのは仕方ない。ただ自分に、「運動ができないレッテル」を貼ったみたいです。

もともと運動(身体を動かすこと)が本当に嫌いなのか? 確かにボール競技やチームプレーなんてとても苦手です。 あんまり興味も湧かず、実家に暮らしていた時家族がバレーボールやら観て盛り上がってるのを見ても、ふーんってなもんです。

しかし先日、映画『SING』を観に行って、たくさんの音楽を浴びて、楽しい経験をしました。家でサントラを聴いていて、自然に身体が揺れました。もちろんダンスのようなステキな動きではないけれど、にこにこしながら揺れたり手振りをしたりして、楽しかったんです。

「あれっ、楽しい。身体を動かすのって楽しいんや」

またまた気づきました。私は、〇〇が苦手・できない→全部が苦手・できない、にしていた。自分で、封印した。できないし苦手だし恥ずかしいし笑われるしチームではみんなに迷惑かけるし……いっぱいいいわけが浮かびます。

でも運動の中の「ダンス、ボール競技、チームプレーのもの」といった一部ができてないだけで、運動ってほかにももっとありますよね。

なーんだぁ。また自分の思い込みかぁ。かちこちやなぁ。

苦手分野から得意分野にはなりませんし、興味が湧くようにもなりませんが、でも気づけてよかった。いろんなものいっぱいくっつけてるから、ひとつでもはずせればそれだけ軽くなれる。いつまでも古いもん背負ってんねんなぁ、私。

もうなくなったよ。また一歩、楽に近づけるね!よしよし!