生きた声
こんにちは。
今日は本と歌の話です。
先日エレファントカシマシ・宮本浩次さんの言葉たちを集めた『宮本語録集』を読みました。
生きた声だなぁと感じました。
文脈なく、言葉だけをポンと載せているので、意味を追ってしまうと理解不能です。しかしそれでも宮本さんの思考回路のかけらが感じられます。
テレビ出演などで、話を振られた時のあの独特の「間」。はじめの頃は、見ているこちらがヒヤヒヤするというか、息を詰めてしまいました。今は何が出てくるのかな?とわくわくします。
たぶん変えられないそのペース。
人柄のよさ、青年期そのままなところ、真面目で熱いところ、伝えたいという思い、などなど感じることができて、嬉しかった。
『宮本語録集』2冊
それから、なんせにわかファンですから「ROCKIN'ON JAPAN」(5月号)も買ったわけですよ(笑)
そこでもインタビューや宮本語録が載っていてその中にあった、
重いってどういうことですか? 演奏が重いとか。内容が重いとか。
だけどさ、真面目に生きればやっぱ重いですよ。
そういう意味での重いだったらわかる。真面目にやれば必ず重いですよ。
(1989年9月号/『浮世の夢』)
共感しました。
人間として、真面目に生きることのどこに恥じることがあるんだ、と感じました。こういうこと言ってる人だから、ファンになったんだろうと思います。
私は今年に入ってから、「変えていこう」と決心し、わからないままにいろいろと動いたり、わかった上で実行したり、と行動を重ねてきたのですが、その後押しをしてくれた歌手がふたりいます。
ひとりはKREVAさん、もうひとりが宮本さんです。
今までどんな歌を聴いても歌詞を読んでも一過性で、よほど昔からファンでないと心に残らずにきていましたが、このおふたりの歌詞については聞いた時から自分から全注意を向けて受け取ろうとしていました。
出会ったきっかけはそれぞれ偶然のようなものです。でもタイミングがバチッと合った、そんな感じなんだろうと思っています。
KREVAさんなら、「居場所」を聴き、次いで「かも」に心を動かされました。私の中に決意のようなものが湧きました。
「居場所」より
思い描け そこに目がけ
つもりだけじゃなくて動き出せ
無駄な事は無い それはウソだね
ただボーっと眺めるだけの時間を減らせ
(中略)
その手動かせ
黙ることはできないんだろう
壁を動かせ
守るだけじゃ増えない居場所
「かも」より
このままこうしていられるなら 他には何もいらない
そんな風に思えてしまったなら
終わりが近いのかも
あの時本気で挑んでいたら 今こんなとこに居ない
そんな話あなたのその口から
聞きたくないのかも
がーんとしました。KREVAさんの他の曲も、自分で決めて進め!という歌詞が多く、なにかのせいにしてやらない、言い訳してやらない、とただ日々を過ごし、「生きる」ことも借り物のようにしていた私は、横っ面を張られたような感覚でした。
そして、自分自身にこの歌詞を受け取るだけの度量があるのか、という恐れや震えみたいなものも感じつつ、とにかくやるんだ、と決意を固めました。
その後出会った宮本さんでは、「さあがんばろうぜ!」と「俺たちの明日」でも歌っているとおり、まっすぐ、ドーンと、輝きを求めて行こう、という強さ(それは優しさから出るものなのかなぁと思いますが)がありますね。けして「がんばれ」ではなく「がんばろう」というところが、「そうだね、私もがんばろう」と心和ませ、素直に思わせてくれます。
おふたりとも、なによりもまず自分だ、と感じさせてくれました。人のことなんてほっとけ。まず自分なんだ。
そう決意しても、人のことを気にしないでいることはなかなか難しく、自分自身の頭の中では絶えずいろんな声がしていてまさに喧喧囂囂。何人もの自分がやかましくしゃべっています。(人格がたくさんある、ということではなく、同じ自分があっちからもこっちからもああ言えばこう言う、という感じ。)も〜〜うるさいわ!となることも多いです。誰か決めてくれよ〜って。
そのうち、人の目なのか自分の目なのか混乱してわからなくなり、ひとりで消耗しています。よほど暇なんですね〜…、私。
以前のブログでも、誰の目を気にしていたのか、当たり障りのないことを書いて「いいね!」もらってホッ、なんてことしてましたけど、そんなもん、ほんまに欲しいの?自分の心が満足しないままするのって自分に小さい嘘ついてるやん、って思いました。誰のためにブログやってんだか。また出ましたよ、自分で勝手に作り上げた人の目。
…着地点が見えないまま長くなってしまいました。まとまりませんでしたが今回はこの辺で。。読んでくださってありがとうございます。
次の記事では、最近の気づいたこと!を書こうと思っています(^-^)