ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

お礼

こんにちは(^-^)

昨日は突然の申し出にも関わらず、私の意向をお聞き届けくださって、ありがとうございました!

ご連絡くださった方々、私には身に余るほどの光栄で、感謝でいっぱいです。

じわわ〜んと嬉しさを噛みしめています。みなさまの期待を裏切らないようにしなくちゃ…これまたこの気負いがあかんのやっちゅーに!

 

妙な高揚感、淋しさ、ちょっとした不安感、大したことしてないのに大それたことをしたような気分になっているな、とも感じていますが、それを超えて、清々しさや風通しのよさがあります。

 

今までの人生で、作っては壊す、を続けてきたかもしれません。

みなさんもそんな時もあるでしょうし、じっくりひとつのことを続けている方もいらっしゃるでしょう。

私は物事を続けられない、例えば一つの会社で何年もやっていけないことに引け目や劣等感を感じていました。(長くて5年くらいです)

続けることはやろうと思えばできるのです。新しい環境、新しい仕事や作業を覚える方がよっぽどつらいし、覚えも遅くてどんくさくビクビクしている自分がいやになるくらいです。

でも、ある程度すると、そこから出ていきたくなる。変えたくなる。

 

自分が心の底からはたして何を求めているのか・何が大切としているのかを見つめることをせず、アタマだけの考えで行動してきました。自分で作った価値観でがんじがらめです。

 

それが何でなのかわかったのはつい最近です。

そして今回は、自覚的に意識的に「枠を壊して飛び出る」をやってみました。

前回の場所は別にいていられない場所でもない、ぬるま湯的な居心地のよさもあり、楽でもありました。だから、ふっとした時にきゅうくつだと感じたのは私のとらえ違いかもしれません。

しかしやっちゃいました。そうこれこれ、こんな風にやってきたんだ私。

職場でいうと、3年くらいでモヤモヤとした不満なき不満を抱えて、仕事というより環境に慣れきった感じを持ち、「何も変わらないな~」とむずむずしてくる。

辞める頃には不満が爆発して、「続けなきゃ、でも続けたくない」とぐるぐる思考が始まり、不安を自分で煽りつつ、自分を責め環境を責め、体力も気持ちも使い果たしていました。「あぁ結局仕事を極めることもできなかった。自分でチャンスを潰したかもしれない」辞めてもそんな不満は残ったままです。勝手に傷ついたようになってました。いろんなことごちゃまぜにして、わけわかんなくなってました。

結局は自分で選んだのにね。

それを自覚してなかっただけなのにね。

 

現在は、今までのように、それまでの関係性までを壊す、とつっぱしるところはアカンよ、と自覚しています。我慢ができず待てしばし、ができないところが結構アカンよ、と。自覚したからといってできるわけではありませんが。人との関係性を壊すことは、自分を痛めることでもある。自分を大切にしていないことのひとつの表現である。「私なんて人から大事にされるわけない」といったような思い込みから、ならば先に切ってやる、という極端な思考へ走るのだろう、と認識しています。…いやいや、何を冷静に分析してるねん、ですよね(笑)

ももう自分にそうやってダメ出しして、勝手に落ち込んで勝手にふてくされて拗ねてなんてやめましたから! いやもうアカンところだらけの大したことのない人間ですから!それでも私なんですから。つきあうって決めたんですから。

 

いきなり長くなってしまいました。中途半端ではありますが、いったんここで終えます。少しずつ、自分を開示していこうと思っています。どうぞこれからもお付き合いのほどを…!

お読みくださって、ありがとうございます ^ ^

 

 私を見上げる眠そうなピヨスケ君

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