冬のおやすみの日
このあいだのおやすみの日は、冬にふさわしい過ごし方をしたぞ!
すなわち、ごろごろのんびりゆったり!
季節問わずそんな過ごし方をしてるかもだけど!ははは!、
特に冬は、心も身体も「内向き」に。眠れるならよく眠って、あまり汗かくほど動かない。それでいい。
(実際の運動も激しいものは避ける、漢方ではそういうけど、身体だけでなく、心が激しく動くのも避けた方がいいんだろうと思う。
焦ったり、憔悴したり、落ち込んだり、喜び過ぎたり…心の高低差で消耗しないようにする)
すばやい動きも避けて、なるべく所作をゆっくりすると、身体も心も、食器などのものも、丁寧に扱っているように感じられて、とても気分がいい。
サッと、パッと、そんな動きがクセになって、しかも早い方がいいという思いこみがあって、ついついしてしまう。身体感覚は正直なもんで、今ではサッとパッと動くとどこかにぶつかる。自分でアホかと思う。
なになに?すばやく動かなくっちゃ遅れをとるからイカン? いいじゃない、人より遅くたって。それで身体も心も安らぐんなら、なにより私にいいことだ。
心も身体も「内向き」に。それが冬の過ごし方。
冬の空はどんより曇っている日が多くて、気分もふさぎがちになって、頭痛もしたりする。飼っている小鳥たちも機嫌がよろしくない。
これだって、季節や天候が原因で起こることだから。気圧のせいだから。
だからやり残したことやできなかったことがあっても、寝てしまおう。
パァッと晴れたら気分も晴れて、動きたくなるから大丈夫。自然にまかせて大丈夫。
『チュンまんが』!フサ!
待ってましたー!
駅近くの本屋では配本自体がなく、移動した先の本屋では1冊のみの入荷…!
でもようやく手に入ったー(^^)
『チュンまんが』dollyさん著(kadokawa)
えんぴつっぽい線が的確でとてもうまいと思う。
チュンの表情の変化をこまかく描けるってすごい。
チュン欲しい。
#チュンまんが
クリスマスソングは
もーろーびとー こぞーりーてー
シュワー キマーセリー
……アレ?…
明日はクリスマスです。
クリスマスはケーキを食べて、クリスマスソングを聴いて唄う日! なんていう思いこみがあります。
ケーキを食べて、クリスマスソングを聴く。
だんだんそれに、チキンを食べたい、お菓子のクリスマスブーツが欲しい、ツリーに飾る色とりどりキャンディみたいな電球も欲しい、とか増えたりしてますけど、
暖かな部屋で暖かな格好をして、温かみを感じる色合いのファブリックが目に入るところにあって、不安も心配もなく、守られた空間にいることがいちばん気持ちが安らぐことであって、
それを装飾するものはなんでもいいんです。でもクリスマスは季節や意味合いなんかから心が華やぐ楽しさがあります。
クリスマスソングといえば、すぐに浮かぶのが「もろびとこぞりて」!
上の歌詞は間違ってます。いつも間違えます。
竹内まりやとかマライヤキャリーとかジョンレノンとか恋人はサンタクロースとか山下達郎とか(ここは夫婦ですごいな)、そういうのはラジオから流れ過ぎて食傷気味。
歌謡曲より、子供の頃聴いた、昔ながらのクリスマスソングがやっぱり素敵な歌だなぁと心踊るのです。
「もろびとこぞりて」だって、子供の頃にみんなが歌うのを聴いて覚えたから、意味も言葉もわかってないまま。
ネットで調べたらすぐにわかるけど、思い出しながら歌うのもいいもんです。
さて今年はケーキ食べられるかな。
ただの象徴・ただの現象だった
年賀状と大掃除。
年末の忙しい時期のわずらわしいことトップツー(と思う)、
この「やらねばならない空気」がすごく気が重くうっとうしい時期を何十年間も過ごして、ようやく1〜2年前どっちもやめて、
今年、心がめっちゃ楽!
楽、というより…、すっきりと静か。波立たないし、落ち着いている。スカッと抜けた感じで、肌感覚はサラリとしている。
なんとなく…、いつもやってるし…、やらなきゃいけないでしょ!、って惰性で続けてきてたこと。
それらに焦点を当てたら思いのほか自分の内面と会話して考えることになって、しんどかった。
でも自分で考えてみた。
とくに年賀状は、「フツーはするでしょ」「一般常識でしょ」「つきあいがなくなるかもよ」「せめて年賀状だけでも」「そんな一年に一回しかないことをやめるなんて、不義理じゃない?」なんてだれだか知らんけど小うるさい声が騒いでた。
だけど、心で考えて、心で納得して、決めた。
やめる、って決める時に、「なんとなくやめればいっか」てな感じでテキトーに決めてたら、またぶり返してモヤモヤうじうじしてたんだろうと思う。
いったんグッと内に入って「自分にとって必要か」「したくてしてるのか」「周りに流されてないか」を探ったから、迷いもこだわりも執着も、今はもうない。
それに、やめるって決めたけど、ガチガチではない。
したかったら、すればいい。流動的でいい。それくらいの自由さ。
こんな気持ちになるなんて思わなかった。自分の中の空間が広がって、自由さが増した気がする。
年賀状と大掃除を、自分から重荷にしてたんだということも今ならわかる。
そして、年賀状と大掃除はただの象徴で、自分のこだわりやルールは別のところにある。年賀状と大掃除は、ただの現象。それぞれによい悪いはない。だって、年賀状も大掃除も、いいもんだもんね。それらを隠れ蓑にして正義やら善悪やらをくっつけて重くしてたのは自分だ。年賀状や大掃除にまとわりつく、世間の空気、世間の常識、親の常識、テレビの影響…、そういったものがうっとうしくわずらわしかっただけなんだ。
卵の殻をむいていくようにそれらを剥ぎ取って、昔から続いてきたことへの人々ひとりひとりの気持ちや思い、みたいなものを見つけ出したら、その純粋な願いに触れたら、そんな重い殻はどうでもよくなった。
年賀状や大掃除は、ただの現象であり、形式でしかない。
大切なのは、年賀状を通して人を思い気遣う気持ちや、大掃除を通して家や暮らしを整え、新年をよろこびをもって迎え祝う気持ちだ。
だから、形だけやってればいい、なんてのは、人にも家にも、ひるがえって自分にも失礼なんだ。
連綿と続いてきたものや伝統や慣習に反抗して、本当にそれは必要なのか考えたけど、ただうわべだけやってた頃はわからなかった。続いてきたものにはそれなりに意味がある、形式や儀式には精神の部分での必要性がある、とわかった。
それがわかったうえで、するかしないかは自分で決めたらいいんだ。
自分の心の動きは、自分でもどうなるのかわからなくて、いちばんおもしろい。
嵐を起こすのも、それを静めるのも、自分なんだ。
ぬかどこその後
ぬかどこのその後。
買ってきてすぐに大根を入れてみて、丸一日も漬けてないけど、どうなっているのか気になって取り出してみた。
そしていざ食べてみたら…塩からっ!すっぱ!すっぱさが独特!エグい。んぐぐってなる。
あちゃ~味が濃過ぎておいしくない。パッケージを開けたてで一番濃い状態だからだろうけど、ぬか漬けってこんな味だったっけ〜?
ふた切れくらいでもう酸っぱ過ぎて手が伸びない。塩分の摂りすぎになりそうだし、たくさんは食べられないぞ。もう少しサラダ感覚でたくさん食べられるものだと思ってた。
ぬか漬けは好きだったから、市販のものとこんなに味が違うことに驚いた。市販のものはさすが「いい塩梅」になってるんでしょう。
…ということで、説明書きに載っていたように「酸味をやわらげるには卵の殻を砕いて入れる(薄皮は取る)」をやってみよう…。そして味濃い大根は塩抜きして別の料理に利用…トホホ。
はじめはこんな感じかな。ぬかの濃度、漬ける時間、漬ける野菜…、いろいろやってみてわかってくるんだろうな。いくら発酵済みのぬかを買ってきたって、やっぱり試行錯誤するもんなんだな。いやでもしかし…すっぱいなー…泣
我慢や忍耐の使いどころ
「我慢や忍耐は目標や理想のためにポジティブに使いましょう。」
はっ ∑(゚Д゚)!
ほんとだな! 意味もなく自動的に我慢して、我慢に無自覚なことめちゃ多い。
我慢したくてしてるのか、我慢するのが楽だから流されているのか、自分でわからなくなる。
そんな風になんでも簡単に我慢してると、我慢や忍耐が必要なここぞという時、自分からやってやろう乗り越えてやろうと思った時、かえって我慢が利かなくなる。その時には我慢する気力体力がなくなってるから。
我慢は身体によくないよ。
手相読み ひふみさんのブログ:
飛蚊症で眼科に行ったけど
先月、眼科に行った。
左目に黒い糸くずが見えたから、「飛蚊症」だとわかったものの、なんで急に現れたか怖かったので原因を調べたくて行った。
ネットで調べると、原因にはふたつあって、ひとつは「網膜剥離」(この言葉だけでもう怖い…)、もうひとつは「老化」。
眼底検査をした結果、病的原因ではなく「老化」「加齢」でした。よかった…んですが素直に喜べませんね(笑) でもよしとしよう。
小学高学年くらいからの近視だから、私は近視のベテランだ。
普段暮らしていて、私の視界がクリアであることはほぼない。いつもホコリとか浮いているし、視界も明るくない。夜目は利かず、たぶん鳥よりも見えてない(通説で「鳥目」といいますが、鳥は割と暗いところ見えてるようです。鴨だって夜中飛ぶし)。
強度の近視の人は「飛蚊症」になりやすいらしく、私の場合は加えて「老化」により、硝子体が少しはがれているようです。自分では見えないけれど、視野の端に丸いものが見えているはずだとお医者さんに言われた。目で追うと一緒に移動するのでたぶん工夫しないと見えないけれど。
目の病気への恐怖はずっとある。こんな強い近視だし、最近は老眼で近いところも見えづらくなって、目も疲れやすくなって、大好きな本を読む気力もなくなってる。たぶん早めに白内障にもなるだろうし、ずっと薄氷を踏むような心持ちだ。こんなできないことばっか言うのいやだ。
だけど、怖いけど、だからこそ知るって大切なんだなぁ。知ると、なにか対処するように実際に動くことができるから。不安を抱えたままでも、動くことって大切だなぁ。できることを増やすために。
日本眼科学会のページ:
http://www.nichigan.or.jp/public/disease/hoka_hibun.jsp
オムロンのページ:
「飛蚊症(ひぶんしょう)は心配ない」って、ホント? | はじめよう!ヘルシーライフ | オムロン ヘルスケア
集中線!
普段から「ガーン!」とか「顔にタテ線」とか、ベタなことを言う私ですが、そういった漫画っぽいことでやっぱりいちばん好きなのは「集中線」!
どんなものにも集中線をつけたら、なんだか面白そうになりそうではないですか?(面白くなるわけではない)
この、バナナに乗るうめさんをカメラで撮る図が…
ほら!
なんかちょっと笑えそうな、面白そうになりそうな!(面白くなるわけではない)
なつめのジャムと陳皮干し
陳皮を作る季節がやってきました。
作ると言ったって、みかんの皮を乾かすだけです。食べる前に塩やお湯で洗っておけば、後から面倒もない。
本物の陳皮はもっと長期間乾燥させているのだろうけど、自分で食べるものならあまりこだわりはない。これがなかなか使えるのです!
piyosuketochocotoume.hatenablog.com
*
そして漢方薬屋さんでもらった「乾燥なつめ」、使い道がなく忘れていたのですが、ようやくジャムにした。煮詰めてもあまりとろりとはならず、ジャムとは言えないかもしれない。
この乾燥なつめ、手軽な薬膳料理として、おかゆにいれたり、鶏肉と煮たりするレシピをよく見ます。
しかし、皮がかためでカシカシした感じが苦手で、味もなんだか独特でボヤけたような気がして好きではなかった。
ただ、なつめの効用は捨てがたい!女性にはよい効果があります!
なつめの煮込み(ジャム)
・乾燥なつめ 10個
・はちみつ 大さじ2
・レモン汁 少々
☆しょうがを入れてもいい。
☆今回は、陳皮を少し加えた。
これらの材料を鍋で煮込むだけ。
さっさと作っておけばよかった…、というのも、ビンに詰めた残りを食べてみると、パウンドケーキに入れるとおいしそうな味(そして食感もケーキに混ぜ込めばあまり気にならないかもしれない)だったのです!
味はあっさりめ、食感は少しシャクッとする感じ、はちみつの甘みでもたせてる感じ。今回は若い陳皮も入れたので、香りがさわやか。
ふわっとしたケーキより、少ししっかりしたケーキに添えるのがよさそうだ(ビンひとつ分しかないんだから全部入れたらすぐなくなる)。これを機会に、せっかくだから使ったことのない米粉で作ってみようかしら!
なぜかいつのまにかケーキと食べるのが前提になってるけど!
そして、なつめの効能です。
乾燥なつめは「大棗(タイソウ)」という生薬で、「補気」…元気をつけてくれるはたらきがあります。血を補い精神を安定させ、食欲不振や倦怠感、不眠、イライラなどによいということです。
身体を温める作用もあるので、これからの季節、あたたかい部屋であたたかい飲みものと一緒に摂るとよりよさそうです。外側からも内側からもあたたかくしよう!
#なつめ #陳皮
自分の身体に聴くこと
先日、衝撃的な記事を読み、今もなんともいえない迷いの中にいる。
わ~…そうなんだ…。
堀江さんは婦人科専門の漢方薬剤師さんで、私はこの方の著作も持っていて「血」を増やすためにとても参考にさせていただいている。
ほかにも堀江さんと交流のある医師の方などなど、同じように、冷えがちな女性にはホットヨガはすすめない、と言っている。こちらの記事を読んだ、実際に体感した方やインストラクターの方の賛同の意見も読んだ。
私も漢方・養生の勉強をしてみて、汗をかくと一緒に「気」が流れ出てしまうこと、「気」はエネルギー・元気のことでもあるから、汗と一緒に元気がなくなってしまう、ということは、知識から、そして夏の自分自身を振り返っても、暑さとのぼせと汗で疲れが倍増した覚えがあって、納得している。
それに加えて、婦人科疾患を持っていたり、「血」不足だったとしたら、身体を温めると思って高温多湿の環境でおこなうホットヨガに行ったら、身体のためには逆効果だということ。
ただ、「気が滞る」タイプの方(気滞)は、汗などを発散することで改善することもあるから、そういった方には悪くない、とも書かれていた。(ヨガ自体はいいので、常温ヨガなら問題ない、とのことだった。)
*
実は最近ホットヨガを始めた私、記事を読んだはじめの衝撃からじっと考えること数日…、なんだか怒られている・責められているような気持ちが消えないので、なにを感じているのか書き出してみた。
・まず、まだ10回も行っていないから合ってるかどうかわからない
・常温ヨガはしたことない、ホットヨガもしたことなかった
・私は気虚・血虚でもあるが、気滞でもある。誰だってタイプはひとつには絞れないのでは?と思う
・数回通って、肌が乾燥する感じはした(特に手)
・今のところ、のぼせるほど暑いと感じない
・レッスン後のシャワーで身体が冷えてしまう感じはする
・体験をする時点で腰に痛みがあってはじめた。運動習慣のない私が急に身体を動かしたことによって腰痛が悪化。今は回復。→これは、ホットヨガをしたことが原因ではないと思っている
・レッスン中、汗をたくさんかくので水もたくさん飲むように促される。しかし水はもともとそれほど飲む方ではなく、勧められる「1レッスン中に1リットル」はとても飲めない
・水は飲み過ぎてもその逆でもむくみの原因になるから、欲しくないのにガブガブ飲むことはしないようにしよう、と思っている
・その時の体調次第で、レッスン後に頭痛が発生することがある。→元が頭痛持ちであるため、ホットヨガが原因とは言い切れない
・特に「冬」がだめな理由は「補陰」の時季だから。陰はうるおいのことで、冬は静かにあまり動かず、早寝遅起き、よく眠って、身体をあたためうるおす食材を食べ過ぎないように摂ること、などなど…要は、激しい発散系の運動はよくない、汗はかき過ぎない、などなど…
さらに、消耗することで「腎」も傷めることにつながってしまう。冬は腎を特に養生する時季だから、逆効果。
ここまでが知識や現実の部分。以下が気持ちの部分。
・女性の身体の専門知識や臨床経験のある方、実際のインストラクターさん、などが理解してほしい、という思いで書かれているから、内容は真剣だし重みがあると感じた
・自分なりに身体のことを考えてヨガをはじめたのに、急に目の前でぴしゃんと戸を立てられたように感じた→これは、私の捉え方の問題。また、「冬」にはじめた、という時期がよくなかった
・いろんな条件の中、利便性などでホットヨガスタジオを選んだが、どんなところでも、合う合わないはせめて3ヶ月くらいやってみないとわからない、と思った
・自分の身体をよくわかっていない(そしてそのまま放置している)ことを指摘されたような気がした
!!
あー、この最後の「自分の身体をよくわかっていない(そしてそのまま放置している)ことを指摘されたような気がした」ことが、怒られている・責められている、と解釈した原因だなー…。
だけど、特に実際のインストラクターさんの声なんてなかなか聞けるものではないのでとても貴重だし本当に重い発言だと思う。それじゃないんだ。それじゃなくて、やっぱり専門の方々の発言が、知識や臨床経験からきた「正論」であること、ここが、私の解釈にビリビリときたんだろう。
なぜなら、正論であることを拒否したいと思っている自分がいるから。
そしてなぜなら、正論を押しつけることは人を傷つける暴力だと思っているから。
もちろん、みなさんそんな押しつけで書いているわけではない。私の解釈や思い込みの問題だ。それがわかったことで、だいぶすっきりした。
そして、なぜ正論が嫌いなのかといえば、ひとはそれぞれ違い、体質もひとそれぞれ、気質もひとそれぞれ、価値観も思い込みもひとそれぞれで、そこに正解も不正解も善も悪もなく、みんなが機嫌よく、共感と寄り添う心をもって生きることがよいことだ、という私の大切な思いがあるから。
…ということで、もう責められている、と捉えるのはなるべくやめにして、今後のヨガレッスンは、その時々の自分の体調を見ながら、強度が弱めのレッスンに行くことにする(強めはそもそもできないけれど)。
ヨガが合っているか、好きかどうかはまだわからないけど…、
しんどかったら無理しない。頻度は落としても、ちょっとずつやってみる。
冷えると感じたらすぐにカイロで処置する。
お風呂につかった時に足首まわしなどのできることをする。
できる範囲で、肩を回したり深呼吸したり、身体をほぐす。
自分が気持ちよいと感じることを否定しない。気持ち悪いと感じることも否定しない。
自分で決めること。自分の身体に聴くこと。これを意識しようと思う。
団地だ!
こんなの出たの?!
「住宅団地マスキングテープ」
これは…マスキングテープを普段使わない私でも、買わなきゃならんか?!と思わせられる品ですね…。
いろんなことを考えて実行してくれる人がいるなぁ〜感服です!
(画像はお借りしました」
気の合う方々と…
買ってきましたよぉ〜!
しいたけ.さんの「ソウルカラー心理学」
これを読みながら、気の合う方々としゃべりたい!
どーでもいい話でいいのだ。
しょーもない話も、たいへんな話も、おもしろい話も、苦しい話も、
外に出してしまえば、抱えた荷物がちょっと軽くなる。どんなことでも。
たとえ楽しい話であっても自分の内に持っているだけだと、なんだかギュッと締まったような、まだ固いような感じだけど、人に話したり、口から外に出すと違うものになる。
話すことで、思ってもみなかった言葉が出てくる。そんな表現ができるとは、そんな言葉を発するとは、自分でも知らなかった自分が出てくる。
一緒におしゃべり!
『ボヘミアン・ラプソディ』
話題になっているクイーンの映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきました。
旦那さんがクイーンの昔からのファンで、私は世代が少しずれていてほとんど知りませんでした。
フレディ・マーキュリーがエイズで亡くなったことはうっすら聞いた記憶があるようなないような、それくらいの知識しかなく、
旦那さんはクイーンの曲を、「ボヘミアン・ラプソディ」も数百回聴いて、でも私がこんなだから張り合いがなかったようです。
フレディさんの印象が、奇抜、奇特、奇妙、といった、オリジナルでしかないその表現方法や見た目で、なんにも知らない私はただそれだけで退けていました。
歌すごいうまいけど変わってんな〜、という、フレディさんのファンに殴られそうな感想しか持ってませんでした。
今回もレイトショーで行きましたが、封切りからしばらく経っているのに座席が半分以上埋まっていて、そして一番驚いたのが、エンドロールが流れてもほとんどの方が席を立たなかった。最後まで見切ってしまわない方は一定数いると思うのですが、この映画は違った。
映画を観て、フレディさんの印象はガラッと変わりました。
この人、繊細すぎる。
哀しさを背負って、自ら愛情をたくさん持っているのに、でも「ない」と信じ込んでいる。だから渇望して、求めて求めて。
愛で満たされた瞬間はあったんでしょうか。あるのに、ない。とずっと思い込んで生きていたのかと感じました。
守ってくれる、寄り添ってくれる人々はすぐそばにいて、いつでも見ていてくれてるのに、本人が「ない」と思ってるから通じない、伝わらない、渡せない、受け取らない。悲しいことです。
外に求めても満たされないのかもしれませんね。苦しい日々だったのでは、と思う。
見た目やパフォーマンスで誤解されやすい人だったのかなぁと思いました。
内側は、ひどく優しすぎ、弱く、か細く、いつも震えているような、そんな印象に変わりました。
ともかく感動しました。ちゃんとクイーンの曲を聴いてみよう、と旦那さんに借りて、ふたりで聴いています。
世をはかなみ、斜に構えて、社会を呪うような歌詞なのかとこれまた勝手に思っていました。ロックってそんな反骨の精神の部分もあると思うから、世の中に抵抗するところを強く出しているのかとイメージしてました。
ぜんぜん違った。なんにも知ってなかった。
世を信じ、人を信じる歌だった。自分を信じる歌だった。
フレディさんの最期が、信頼できる人々にそばにいてもらえて救われるような気持ちがしました。
陳腐な感想だけど、私は感動した。
ちなみに、フレディさんておとめ座かなぁ?と思ったらほんとにそうだった。
ハマる串
ただの鶏肉が…、ただの豚肉が…、ただの団子が…、
串に刺さってるだけでなぜあんなにおいしそうに見えるんでしょう!?
最近の自分だけの流行が、串です。
お肉も団子も、特別でもない。そのまま焼いてお皿に盛ってもいいんですけど、だけど、串に刺さってるだけで特別感アップ!!
たぶん国が違っても通じるような、形そのものを表した「串」という字!
そしてこれを作ったのは旦那さん!
なにかにハマるとしばらくそれに凝るのはいつものことで、
先日までは春巻き(かにかまとスライスチーズやらを巻くだけ)、その前はトマト料理(スープに入れると酸味がほどよくうまい!)、その前は…、、と続いております。
しかしこの串、楽しいし、具がお肉だからしっかり食べられるし、おいしいし。団子も作りたくなるのです。
ふつうに焼くだけに飽きたら、たまには串に刺すのはおすすめ!!