月の半分がこんなで
今回のPMSはキツかった。
・目の痛み(突き刺すような)
・目の奥から頭にかけてのビクビクする痛み
・頭痛
・右耳(外耳あたり)のギュッとする痛み(耳栓がしにくいのでとてもつらい)
・噛みしめで顎のあたりがじわじわと痛い
・顔のかゆみ
・吹き出物
・足首の冷え
・足の指の曲がりにくさ
・足底筋膜炎(朝の痛みと歩きにくさ)
・浅い呼吸(空気が入りづらい)
・おくび
・異常な食欲(食べたいわけではないのに食べずにいられない)
・冷たい飲み物を欲しがる
・胃腸の疲れ、不調
・日光の眩しさへのつらさ
・笑顔が出ない
痛みばっかりだな…自分でもイヤになるけれど、書いておくと振り返って対処方法が見つかるかもしれないから書くぞ。
6月半ばの地震→急激な暑さ(熱さ)→集中豪雨→台風、、、
と、心や身体がまったく落ち着く暇のない夏を迎えています。
夏はもともと苦手だけれど、急激に暑さが増したこの7月は、まだ温存できていた体力をどんどん奪っていく。
たとえば、どこかでお茶をしようとか映画を観ようとか本を読もうとか、ちょっとした気分転換にも心を向けられず、行き場のないなにかが体内で淀んで溜まった状態が続いている。
毎日息をすることだけ、生きることだけで必死で、楽しんでは「いけないのではないか」、どこかに出かけている時にまた地震が起こるんではないか、だから気晴らしなんか「してはいけないのではないか」、もっと大変な人々がいるのに自分だけ楽をしてはいけない、といった思考に自分で「やられて」いる。
・しなければならない
・してはならない
こういう強制で身動き取れなくなっている。
しなければならない、してはいけない、という思考をしていることはわかっているから、そんなこと考えてはいけない、とまた思考がうるさく言ってきて、二重三重に縛りつけている。もうどうすりゃいいんだ〜
しかし! たった今、こうしてそんなこんなを吐き出せた。
ぐるぐると行き場がなく、自分をがんじがらめにしていた、と気づいたことを、「頭の中の考え」じゃなくて「文字でもしゃべることでもいいから外に出せた」。
これでもう今回は大丈夫だという気がする。天気、気圧の乱高下にも日々振り回されているし、PMSだけが原因ではないが、やっぱり影響は大きい。毎月毎月、月の半分はこんな感じである。あぁ生きるってしんどい。
***
過剰に神経質になる時の自分と、ぼんやりとアホなことを思い巡らせている時の自分は同一人物である。
悲観的に暗いことばかり考える時の自分と、いけるいける、大丈夫と楽観的に思える時の自分も同一人物である。
しんどい渦中はマイナス部分を増大させ、自分で苦しくなっている。そんな時は余計に自分にも人にもものごとにも厳しくなりがちだから、「やり過ごす」ことをもう少し覚えていけたらいいんだけれど。長年の癖はなかなか入れ替わらず、難しい。
身体がしんどいから心もしんどくなってるのに、つい身体と頭を切り離して考えがちだ。気力や小手先の考えでなんとかしようとしてしまう。
でもとりあえず今日も生きられている。
達郎さんの曲
山下達郎さんが主題歌を歌う映画が公開されたからか、「ミライのテーマ」があちこちで流れ、よく耳に入ります。
山下達郎さんを好きでも嫌いでもなく、でも有名な曲が多くて“自然と知っている”状態です。
好きでも嫌いでもないけど、なかでも気に入りの曲はあって、「ジャングル・スウィング」はとても好きです。
見上げた空が、世界が、大きく広がるように感じられて、わぁ〜と気分が高揚したのを覚えています。
達郎さんの曲は、私にとって“よく知る”までに長い時間がかかるようです。
たくさん流れるので“自然と”知っているつもり、でしたが、入り込めていないからか、10年以上経って「あぁこの曲はいいなぁ」と気づくのです。
「アトムの子」も「ドーナツ・ソング」も10年以上経った今、よくよく聴いて、ステキな曲だったんだなぁと感じ入っています。
この時間の幅というか時間の距離感には自分が驚きました。
10代・20代の頃では生きている年月が足りなくて、そんな聴き方できなかったでしょうから、年齢を経て、長く長く聴いていけるようになったんだ、そんな曲の聴き方もいいか、と思ったところです。魅力に気づくのが遅いということなんですが、長く生きればそれだけ好きな曲が増えるんだ、とも言えますね。(言いわけ)
日曜日にTOKYO-FM系列で「Sunday Song Book」というラジオ番組をもう長く長くされているそうです。
私が聴き始めたのはほんの1年前ほど。達郎さんが話の途中にグフフと一人笑うのが面白くて、紹介される曲も楽しくて、のんびり聞くのにピッタリです。
いつかライブに行ってみたい!
24
ものすごく遅ればせながら、「24」をDVDで見ています。実は初めてです。
お笑い芸人さんの“どきどきキャンプ”のネタで「24」のジャック・バウアーに扮するのがありましたね。
お笑い番組でそれを見て、わけもわからずゲラゲラ笑っていました。本物知らないけど、うまいこと真似してるんやろうな〜と思って。
今まだ数話しか見ておりません。だから本家が「すまないと思っている」と言っているのを見てないのです。
いつ言うかいつ言うかとソワソワしてるのですが、それより毎話毎話、こんな緊迫して体力も気力もギリギリまで追い詰められて24時間過ごすのなんかイヤだぁぁ!!と思いながら見ています。
しかし気になって気になって、続きを見たい気持ちを止められません。
くそー! 今日も見てやろうと思っている!!
無事でおられるように
よく読んでいたブログが突然閉められました。
ごく個人的なことも、多数の方に向けての発信もされていたブログでした。
丹念で繊細な表現や、信じたい、といった強い気持ちを持った方なんだなぁと感じていました。
読み始めたのは2年ほどなのでその方の詳しいことを知っているわけではないですが、根深く、期間も長く、ずっと気の休まる暇がない問題を抱えておられるようでした。
ここ最近のブログを読んで、おかしいな、という感じを受けていました。ご本人自体がなんだかバランスを崩しているような…。
私にはどうにも負のエネルギーが強く感じられてしんどくなってしまい、最近は読む回数を減らしていました。
その方は、明言をされていたかは覚えていませんが、HSPだろうと思います。エンパスなのかもしれません。
ネットや、個人ページなどを見て、気分が悪くなるということ、ページから出てくるものに対しどういった影響を受けるのか細かく描写されていました。
人よりも「あらゆるもの・こと」への感知が鋭く、かつ考えることを得手として、「思考・感情」の両方に優れておられるように感じていました。
そうした能力が強いので、パソコンからならいわゆる電磁波的な影響、といったものだけでなく、ページを作る人の想念や悪意といったものまでも感じ取り、健康面にまで影響を受ける、というようなことを書いていました。
あらゆるものから感じ取る力(一般的にいう感受性よりも強いものだと思います)も大きく、
その奥の自身の価値観も、今までの経験や体験から確固としたものを持っていて、守るべきものや守りたいものへの情は濃く篤い方なんだろう、と私なりの解釈で思っていました。
最近になり、長くかかっていた問題に対し具体的な方策を打ち、行動を始めた、という記載がブログを閉める直前にあったので、とうとう業を煮やし切って行動に移されたんだ、と知りました。
まだ渦中におられると思うので、経過や結果もどうなるのかわかりませんが、早く落ち着かれるといいなという気持ちです。
最近感じていた不安定さや攻撃性が一過性のものであるように、と願います。
Yさんへの私信
Yさん
世界を巡っているかのような写真がたくさん載っている日めくりを見つけました。
旅好きなYさんにはおなじみの景色があるかもしれません。
同じシリーズで写真集もありましたが、気軽にパラパラ見られる日めくりなら、より世界が身近かも!と思ってこちらにしました。
中身は全く知らないまま贈ります。もしよろしければ、私の誕生日はどんな景色なのか、写真に撮ってメールしてくださるとうれしいです。
この日めくりは本屋さんで見つけました。
地震、大雨と続いて気がふさぎ、かつ、ここ最近本屋さんでゆっくりする、といった時間も取っていませんでした。
久しぶりの本屋さんは、心が細かく震えるような、心臓がぶわっと大きくなるような、
いつものにおい、いつもの空気、いつもの景色で、
私はこの場所がないとしぼむんだなぁとあらためて思ったのです。
私が私でいられる場所なのに、勝手に遠ざかって淋しく悲しくなっていたことに気づきませんでした。
私が無理をせずに私でいられる場所はそう多くありません。
少ししかないのに、ここのところすっかり出不精で、私が私を見失うところでした。
脳内でばかりあくせくして、体感を忘れるところでした。
そんな時に、Yさんをふと思い浮かべました。
いろんなやりとりをして、印象深いことも忘れてしまったこともたくさんありますが、
ずいぶん長い間お付き合いさせてもらっているなぁ…と感じ入る気持ちです。
こうしてお手紙を書ける喜び、
思い出をたくさん持っている喜び、
なにか喜んでもらえるものはあるかな?と探せる喜び、
好きなものや事を知っている喜び、
多くの喜びや楽しさを与えてもらっています。
もしよろしければ、またYさんの好きなものの話を聞かせてください。
ノートの切れはしに書いた手紙ですみません。でもこのノートはとても書き心地がよくて、触り心地もすべすべしているので、Yさんにも心地よさを手渡したくて書きました。
ではまたいつか! 2018.7.7
地震
今朝、7:58
ぐわんっというような、身体を突き飛ばされたような衝撃と揺れ。
揺れた時間は短かった。
東北の大地震の時は、大阪の都心部のビル23階にいた。あの時の揺れは長く長く、焦れるほど長く続いた。当地の被害も恐ろしいものだった。
今朝は職場である鍼灸整骨院にいた。朝8時から開院するため、準備に追われていた時だった。
横向きにゆらゆら揺れるというよりは、縦向きの衝撃を感じた。棚の上に置いていたものがバラバラッと落ちる。丈の高い植木の鉢が割れた。
出勤途中だった通院患者さんが飛び込んで来た。先生が閉じ込め防止のため扉を開けたと同時だった。先生と患者さんの3人で、揺れが収まってもしばらくそのまましゃがんでいた。
何が起こったのかわからなかった。しかし強い恐怖を感じて、「死にたくない!」と動揺し、ギュッと体に力が入った。
テレビがなかったので外がどういう状況かわからなかったが、すぐに商店街の役員の方が現時点の付近の状態を伝えに来てくれた。ネットでの情報も流れ始めた。
近くにお住いの患者さんも、様子を見に来てくれた。
私は落ち着かず、とりあえずできるルーティン作業を終わらせて、今日予約されている患者さんに電話をざっとかけ始めたが、午前中はほぼつながらず、とにかくかけ続けようと焦る気持ちだった。
浮き足立ち、肩が上がり、息が浅い。血圧が上がっている感じ。あとでドッと疲れが出るだろう、と思った。
震度1くらいの余震が短期間に起こっていたが、自分の血圧が上がってめまいのようにふらつくのか、本当の地震なのかわからなくなった。
数人の患者さんと電話が通じ、無事かどうか確認すると、食器が全滅した、とか、冷蔵庫の扉も開いた、とか、2階の部屋はものが散乱している、といった状況のようだった。
そうしているうち、妹、母、友人から確認のメールが届いた。自分がメールすることは頭から飛んでいた。慌てて返事をして、私も主人にメールをした。自宅は家具が倒れかかって、本や雑貨が落ちたようだ。食器も数枚割れたらしい。主人は出勤前で家にいてくれたので、私が帰る頃にはあらかた片付けてくれていた。
小鳥たちの様子が気になっていたが、文鳥は驚いて吐いた、と聞いた。プルプルッと首を振って吐いたそうだ。吐くことなど初めてだから、ものすごく怖かったんだろう。主人がいてくれて本当によかった。
昼までの勤務を終えて家に戻る途中、外壁が崩れて落ちたクリニックや、酒瓶が割れてカゴに入れて片付けていたコンビニ、コンクリートがめくれている道、道路はいつも以上に多い車の列、消防のサイレン、止まないヘリコプターの音、空気自体がざわついていた。
家に戻り、片付けをしたら、強烈な眠気と疲労感がきた。
不安と焦りで情報を得るための行動も空まわりしている。それでも、SNSはテレビよりよほど役に立ち、非常に助かっている。
関西の人々は、阪神淡路大震災を経験している方も多いからか、今できることをして、割合と落ち着いているように思える。
あの経験の前後では、どの人も“細胞が一気に入れ替わったように”変化したように思う。同じ人なんだけれど、質が変容した、というのか、考え方や生き方、行動のための基準などが大きく変わったように思う。
今日は昼から雨の予報だったのがどうにかもってくれたけれど、明日は降り出すようだ。
どうかこのまま被害が広がらず収まってほしい。
こちらは無事です。
どうぞ気をつけてください。
私の目
目が悪いことが、不便でもあり、コンプレックスでもある。
小学5年生の頃から視力が下がりはじめ、今では裸眼で0.01くらいの近眼で、最近は老眼も出て、しかも疲れやすくなってきました。
近眼だけど老眼だから、頼みの綱だった近くまで見えにくくなってきて、
「どこかちょうどいいところでピントが合ってくれないかなー」と都合のいいことを思うものの、そうは問屋が卸さないですね、見えません。
小学生からメガネをかけたり外したり。
高校生になってコンタクトをするようになったけれど、目にはよくなかったなと今では思うほど、疲れるし痛いし、眼球に傷が入ったりしてました。
コンタクトはしんどくなって、30代になってからはもっぱらメガネになりました。
度が強いので、メガネとの境で見え方の落差が激しく、ちょっとの段差でもおそろしいくらいの怖さを感じます。
そんな近眼生活、ずっとずっと「不便」「イヤ」「苦しい」「つらい」という気持ちで過ごしてきました。
でも今日は、それだけではないことに気がついたのです。
夜、飛行機の見える公園に行って、メガネを外してぼうっと滑走路を眺めていました。
滑走路や街に、いろんな色の灯りが点々とともっているのを眺めると、それぞれがぼやぁっと広がって見えます。
赤、緑、黄色、白、オレンジ、青…
滑走路に並んでついている、キャンディみたいな、宝石みたいないろんな色の灯りが、とてもきれいな雪の結晶の形に見えたのです。
色とりどりの雪の結晶みたいなきれいな灯りを見ることができた。
そう思ったら、毎日毎日酷使しているにもかかわらず、ものすごく働いてくれている目に非常に申し訳なく思いました。
そして、目に頼りすぎている毎日なのに、目をいたわったりすることをまったく考えてなかったな、と反省です。気がつくのが遅すぎる。
目が悪いことは、不便であり、コンプレックスだった。
でも代わりのきかないものすごく大事なものだってことにようやく気がついたようです。
コンプレックスなんて、感じる必要はなかった。
あんなにきれいなものを見せてくれる私の目は、これっきりしかない。大切で大切で、大切なんだ。
シャボン玉石けん「香害」についての広告
シャボン玉石けんから、
「香害」についての広告がホームページにアップされました。
https://www.shabon.com/kougai/
集合住宅や電車などの公共の乗り物、学校やスーパー、病院など多くの人の集まる場所、どんなところでも当てはまること。
人間の「想像力」「意識」「思う・考える」が進化・深化することを願う。
最近の押し売り
最近の押し売りセールス、
「玄関先までお願いします」って言うようになった。
なぜそっちの都合で「出てあげないといけない」んだろうか。
こういうの、適当にやり過ごせなくて、むかっ腹が立つ。
なぜ腹が立つんだろう?
セールスは、いらないものを無理矢理売るために、一方的に自分の売り口上を言うため、言いたいことを言うため、にやってきますね。
それが、インフラである電力会社やらガス会社やらを騙っていても、押し付けるセールスには変わりない。
「あなたのため」という嘘をついて、押し付ける。
「おトクです」「みんなやってます」なんていう煽り文句をぶら下げて、さも「いいことお伝えしてます!」的な猫なで声で。
あなたのため、家族のため、社会のため。
本当に「私のため」なんて、よそのもんが考えてくれるわけない。利益で動く企業なんですもんね。
こちらからすると「いやそれはあなた、自分のためにやってるだけ」なわけですね。
玄関先までお願いします、って、まったくお願いされてない態度で言われてもカチンとくるだけ。でもまぁ押し売りって昔っからなくならないんですよねぇコレが。サザエさんの漫画にも出てきますもんね。
そう、そんなもんをカサにきて親切ヅラして押しつけてくることそのものにも腹が立つんですが、それだけでない、
距離感を狂わせ、ズカズカと入ってくる態度に怒りと恐怖と拒否感と嫌悪感を感じるのです。気持ち悪い。
これは境界を無理矢理越えて来ようとする気味悪さなんでしょう。
*
こちらに利益なんて一切ない押し売りは「玄関先」で帰ってもらいましょう。
玄関は、魑魅魍魎との唯一の境界線!
蹴破るのは無理でも、ピッキングなんかではひとたまりもないような玄関。それでも玄関があってよかった。自分の身は自分で守れるよう、鍵かけてチェーンかけておくのも安全を得るためには必要なことだって心底思いました。
「玄関先」での攻防戦。
やつらは攻略方法をもっと考えないと「玄関先」から奥へは入れない。
入れるか入れないかはこちらの都合、こちらの判断、こちらの気分、などなど、こちらサイドで決めていい!
境界線を侵すヤカラは断固拒否してもいい。
**
最近の口上でよく耳にしており、でも気持ち悪い違和感を感じていたこの「玄関先までお願いします」の一言。
ただのハヤりかなぁと思っていたのですが攻略できないからこその「玄関先までお願いします」なんですね。
**
自分と他人との境界線、と一緒なんだ、と考えさせられました。
なんだかんだ押しつけてくる人には、こちらの都合、判断、気分、好き嫌い、で入れるか入れないかを決めていいのだ、とあらためて思いました。
ちょっとずつちょっとずつ
初めてお会いした時から、1ヶ月経ち、2ヶ月経ち、、、数ヶ月して、その人の体調がよくなり、自然な笑顔が出て、言葉も明るくなり…、
そんな変化を目の当たりにした時の、じんわりとした嬉しさと安堵を感じられることは、今まで知らなかった世界だなぁ。
数ヶ月に亘る先生の治療もあってそんな変化を遂げられているのですが、でももちろんそれだけではない。
ご本人の意識や行動なしには変化はない。
ご本人がちょっとずつちょっとずつ進んで、身体が楽になったことで気分よく過ごす時が多くなって、今、楽しく暮らしていけているなら、それはなによりのことですね。
気持ちに無理せず、素直に身体や心を大切にされている方は、それほど滞りなく楽になっていかれるのだろうなぁ、と、あちこち痛む私は思います。
どうしたって、身体の動かし方なんかのクセは抜けないし、心の思い込みもあるし、意識はなかなか組み替えられないし。でも、今ないものより、今あるものやできていることに気づくと、あっ、私でもこんなに楽しく生きてるんだ、とハッとするのです。
そんな時に、私は私の身体にありがとうと思う。ずっとつきあってくれてありがとう。
『心が弱ったときのツボストレッチ』
『心が弱ったときのツボストレッチ』
なんかおもしろそうだったので買いました。
メンタルの不調に? どういうこと? と思って見ると、
⚫︎イライラ
⚫︎不安
⚫︎緊張
⚫︎眠れない
といった「ストレスといえば」的なものの他に、
⚫︎さみしい
⚫︎むなしい
⚫︎余裕がない
⚫︎気分が高ぶる
⚫︎くやしい
⚫︎苦しい
⚫︎恐ろしい
などの項目があり、それぞれそうなっている時の「体の状態」も簡単な絵とともに書かれています。
心の状態を身体の状態として見たらどうなっているのか? がわかると、不調を治すためにまず身体をどうしたらいいかがわかり、メンタル不調だけに囚われなくなる。
心の不調はなにも悩みごとや心配ごとだけからくるものではなくて、身体の姿勢が悪かったり呼吸がうまくできていなかったりすることで心に影響していることもままあるのですよね。
心が弱いから、とか、ストレスが多いから、とか思い悩んだり、自分を責めたりしてメンタルの不調に陥ると考えがちですが、身体が冷えていたり固まっていたりすることで、気づかないうちに心も冷えたり固まったりするんですよね。
*
ツボ押し、などというと、素人だし難しいかな?と思いましたが、この本、かなりざっくりしています。
身体中はツボだらけと言ってもいいほどツボはあちこちにあります。だから、厳密にココ!と探さなくていい。
要は自分が気持ちよければいいわけですね。押すだけではなくさすったり揉んだり、これも自由自在。回数も自由。
ずいぶん気がラクです。
*
今日は快晴で気温も27度くらいまで上がりました。
高気圧だと低気圧のときよりは身体が軽く感じて楽なので助かるのですが、気温がぐんぐん上がった今日は、まだ暑さに慣れていない身体が「のぼせ」状態です。
のぼせ=身体の上部にエネルギーが溜まった状態なため、気が高ぶって頭がよく回る、回りすぎて空回りもする状態だった私。目も使いすぎて冴えてしまい熱くなっています。身体の内部が熱を持って、顔や目が痒くなっています。
交感神経が働きすぎていて、夜になってもなかなか副交感神経に切り替わらない感じ。
このままでは眠れなくなりそうと思ったので、ゆっくりめの入浴、ツボストレッチ、氷枕で冷やす、などなどの手を打ちました。
その結果、氷枕が効きました(^^; 少し呼吸も落ち着いて、眠りに入れそうです。
こんな風に自分で身体の手当てができるって、楽しいことですね。いやでもこんなことしてないで早く寝よう。
正しさ以外の世界
最近よく思う。
正しさは人を傷つけるんだなぁって。
私も今まで正しいか正しくないかという判断基準で考え行動していたところはおおいにあった。大切な価値観だと思っていた。
最近になって、いやそれでは誰も救えないし人を追い込むだけでなんにもならない、と思うようになった。
最近になって、ようやく、正しさをふりかざすことの幼稚さ、せまさ、自分で考えないずるさを感じるようになってきた。
最近になって、やっと、正しさ以外の世界の方が豊かで広がりがある、と思うようになった。
*
友人に、したつもりがないけれどアドバイスしたと受け止められ、ものすごく反省した。アドバイスなんて誰も求めてない。みんな、答えは自分の中にしかない。
いくら「私は〜と思う」「私はこうしてみたら〜だった」という言い方をして、けして「あなたのために」なんて言ってないと言い張っても、相手には余計な押しつけになってしまった。
その言葉たちは、熱意をもって渡した言葉でも、包むようにそっと渡した言葉でも、相手には届かないひとりよがりのものになる。
ひとつの言葉でも、捉え方も感じ方もみんな違う。だから私は私の言葉で表すしかないのだけれど、できたら、誤解のないよう、平易で、簡潔に、あたたかな言葉使いをしたい。
勝手な思い込みの正しさはいらないけれど、「言葉の正しさ」は、大事にしたい。私の大切なことのひとつとしたい。
これから生きるなら、正しさ以外の世界で、正しさ以外の価値基準をもって生きたい。
チョコパンのチョコは…
甘いものが好きでついつい食べてしまいます。
チョコレートもあんこも大好きです。
*
こないだもチョコパンを食べたら、そういえばチョコパンのチョコは独特だなぁと思ったのです。
原材料を見れば、“チョコフラワーペースト”とあります。フラワーペーストは小麦粉や片栗粉といった“粉”と植物油脂などを混ぜて作ったもの。そこにカスタード香料やココアを混ぜると、それぞれクリームパン、チョコパンの中味になるんですね〜。
あのもったり感、なめらか感、ツヤ感が、ぜんぜんチョコレートとは違うのに、チョコパンはやっぱりおいしい。駄菓子的なおいしさなのかもしれません。
*
今はなき、大好きだったお菓子の話をすると、
松葉チョコという、松葉を模した細い3センチくらいのあられ(おかき?)をチョコレートでコーティングした和菓子風お菓子がありました。パリパリしたおかきが香ばしい、ついつい手が出るお菓子です。
知っている人が周りにおらず、本当にあったのか?!と思うほどなのですが、たしかにあったんですよーーー。
明治の「いも作くん」というお菓子。
さくさくの甘いスナックにうっすらあんをまとわせた上にチョココーティングしてあって、ほんのりあんこの風味がするのがとても優しく、出た当初はこればかり買ってもらっていました。
「ポポロン」というシューチョコもものすごく好きでした。
今コンビニで手に入るシューチョコよりも固めの食感で、値段も少し高めだったけれど、その頃シューのお菓子はそれしかなかったのです。でも高いから、私の中では駄菓子とは別格の扱いでした。
***
お菓子も世代によって知ってる知らないが分かれてしまいますね。子どもの頃食べたお菓子が今も残っているのは、とてもすごいことなんですよね。
自分の好きなものが(お菓子だけでなく、お店などでも)いつのまにか無くなっていると、
私の好きなものはたいがい無くなってしまう…とガーンとなるのですが、どんな方も多かれ少なかれそんな経験をされているでしょうね。
いやしかし、いも作くんにもポポロンにもぜひカムバーック!してほしいです!
THE MAKING ひよこ
福岡土産でいただいた「ひよ子」
いきなり余談ですが、関西に住んでいると「ひよ子」のお饅頭は「福岡土産」ですよね(^^) 東京土産にもあると聞いた時驚きました。
本題ですが、「THE MAKING」という番組をご存知でしょうか。15分ほどで、ものの製造過程がまるまるわかってしまう面白い番組です。
先日まさに「ひよ子」の製造を追って見入っておりました。こまやかな工夫が随所になされています。日本人ってきめ細かい…とあらためて感じたものです。
youtubeでもたくさんアップされていて、いろんな製品が「making」されるところが見られます。なんともいえず興味深いです。おすすめ!