HSPだらけだった
こんにちは。
ごく最近お付き合いを始めた方々、お知り合いになった方々がいます。
以前から知り合いだけど友人として話せるようになった方、会いたくて会いに行った方、集まりで偶然出会った方、などなどご縁を大切にしたい方々ばかりですが、ほぼ全員「HSP」でした。(驚き)
HSPのチェック項目に私は懐疑的なので、具体的にどれに当てはまったかなんて確かめてませんが、
人混み(サークルや会合などの複数人がそれぞれしゃべっている場合も)に行き、精気を吸い取られたか使い果たしたかで疲れ果てて帰ってぐったり、なんて、HSP以外の何者でもない気がします。
この近辺にどれだけの人口がいるのか知らないですが、見方を変えればHSPはだれでも当てはまるし、だれにも当てはまらない、ということを再認識しました。
思えば私の母も、病人のお見舞いに行って(何かがついてきたのか)帰って動けずぐったり寝込む、ということが何度かありました。
前の夫は音に敏感すぎて、快適な生活を求めて引っ越しばかりしていました。
今の旦那さんはHSPでありHSSでありエンパスです。
…といいますか、どんなチェック項目に当てはまろうと、その人の「個性」じゃん!と思います。
現に、HSPという概念を知らない方は仕方ないとして、知っているという方々が、「(HSP概念は)なんか違う」「それはそれでいい」、というスタンスなことにまた驚きました。私が聞かなければ、会話に出てくることもない。会話に出してもそれ以上広がらないし、「それで?」といった感じ。
悩まれたことがあるかどうかはわからないですが、現在は自然に受け入れている。…HSPを逃げ道としてないし、大げさに捉えていない。
ものすごく学びました。それぞれの人々のそれぞれの発言や受け答え、表情、知識、経験、そういったことから実地に見て聞いて感じて、学びました。
私の出会ったHSPさんは、母や前夫も入れますと、全部で15名ほどです。もし半分だとしても、私ひとりが1年間ほどで「初対面で」出会い話す人数としては多過ぎるくらいです。
ただ出会っただけなら50人ほどの方がいますが、それでも割合として多いのじゃないかなぁと感じます。
HSPだらけだ。
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HSPを、自分を証明するための切符みたいに扱って、それに固執して、「私はこんなだから認めて!」と叫んでいた、その頃の自分は、今の自分を想像できなかった。
抜け出られて、心底よかった。自分のことを引き受ける覚悟を決めて、心底よかった。執着や、他人目線を手放せて、本当によかった。
私には、周りにこんなにたくさんの「お手本」「先輩」となる方がいる。上も下もわからずもがいてきて、ふと顔をあげたら予想もしなかったご褒美をもらえた感覚です。
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少し前までは、HSPと名乗る人の中に以前の自分を見つけて嫌な気分になることもありました。HSPなの、苦しいの、かわいそうでしょう、だから仕方ないの、かまって!といった“HSPを免罪符にしている”声を聞き取ったように思えて。以前の自分を映していたんですね。
でももう、そんなかわいそうぶる私も私だし、それをスタートにしてもいいから、私は私のことをやっていこう。こんな風になりたい、と思える方たちをたくさん見つけたし、それを目指そうって決めたから。やっと本当にこだわりを捨てて、気にしないようになっていけそう。いや、なっていくと決める。私はこれからもっと自由になるよ〜!
今苦しい人たちも、それぞれのタイミングで羽ばたいていかれるといいなぁと思います。
整骨院通いはまだ続く
こんにちは。
先月から、整骨院に通い始めました。そして、通うきっかけとなった手の痺れは今ではほとんどなくなりました!やったー。
でもまだ通っています。間欠的にまだほんの少しだけ痺れが出ることと、痺れだけでなく他にもいろいろと出てくる「症状」というものが、何が影響して出現するのかを知りたいから。(他の「症状」というのは、頭痛、鼻水・鼻づまり、むくみ、だるさ、などなどなど…)
季節の変化、毎日の天気、何をしていたかといった行動、ぜんぶ身体に現れるんだなぁということを実感しています。
先生はぜんぶお見通し。動いてないこともすぐわかる。身体は嘘をつきませんね〜。
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人によりそれぞれでしょうが、私は痛みを感じやすく、頭でも肩でも「痛い」と気づいてしまうとそれに集中してしまいます。頭痛持ちなので、季節や天候の変化に振り回されっぱなしで、しょっちゅう痛くなっています。
いずれ、頭痛になりにくくするための注意点なんかを施術を通して知っていきたいなぁと思っています。もう頭痛薬ばっかり飲むのいやだ。
加えて、漢方(東洋医学)をかじりつつあるので、テキストで学んだことと、自分の身体に起こることを結びつけて考えることができるのが、とても面白いです。
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病気や、調子が悪い時は、今感じている「症状」に注目してしまいますけど、その「症状」を取ったからといって、「根本」を立て直さないと治ったとは言えないですよね。
漢方に限らず、「根本」「本質」って要ですよね。元来そういった捉え方をしたいと思う方だったので、漢方の考え方はすんなり理解できて納得することが多いです。知れば知るほど面白い。医学だけかと思ったら、日々の生活、心の持ちようにまで波及する考え方なんですよね。
そして、広大で深淵な世界、と思っていた漢方(東洋医学)ですが、一定のルールに則って体系立てられています。だから言葉の意味がわかってきたら、素人なりに「読める」「検証できる」んです。間違ってても、自分で考えを巡らせて、想像力をはたらかせて試したり納得したりするのは、私にでもできるんだ!と発見でした。市販の漢方薬もわかるようになるんですよ〜(^^)
なんでも「体験」してみないとわからないんだなぁって深く納得しています。浅はかな想像で知ったふりしていた以前の自分が恥ずかしい。知らないことを自覚することは、知ったふりするよりよほど清々しい。そんな姿勢を忘れないように精進していこうと決意をあらたにしました。
推理小説の楽しみ方
こんにちは。
突然ですが、推理小説は読みますか?
私は昔から読むとすれば推理小説、ミステリー、探偵小説、でした。
日本の私小説、いわゆる「文学もの」は読むには読めど、中途半端な知識しかありません。海外ものやノンフィクション、果ては哲学やらなんやらはかじった程度です。えぇっ、あんなに時間をたっぷり使って読んだのに、こんなにも覚えてない?!と愕然とします。
では推理小説だから知ってるかと問われるとこれもあやふやで、非常に偏っています。でもやっぱり好きなんです。
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中学生くらいの頃、妹に児童書のルパンシリーズを借りて、わー面白いー、と思って、次々読んで読み終わったら今度はシャーロック・ホームズを読みました。それから江戸川乱歩の明智探偵シリーズ。王道でしょう。でもホームズよりルパンのあの艶やかさがいい。
それから、赤川次郎をたくさん読みました。その頃赤川作品はドラマや映画になったりして、軽いなんて言われてましたけど、たしかに会話文も多めで読みやすいけれど、今読んでも内容は結構読みごたえがありますよ。三毛猫ホームズシリーズの初期三作品くらいは、結構な暗さです。(『三毛猫ホームズの推理』『三毛猫ホームズの追跡』等々)
シリーズや連載もので、初期の方がその世界観を色濃く描いてた、ということはままあることかな、と思うんですが、それは『じゃりん子チエ』でも非常に感じます。3巻までは濃い暗さがあって、またその暗さがいいんです。どうにもならないやるせなさや陰影が、人間の生活ってこういうことだなぁと思わせられます。チエちゃん、おすすめですよ。
シリーズになって、回を追うごとに登場人物たちもサービス精神旺盛になってわいわいやってくれて、また会えた、という楽しさもあるからどちらも素敵なんですけれど。
高校生以降は、日本のものをどんどん読みました。今はほとんど覚えてないけど。記憶に残っているものを、おいおい書いていきたいなぁと思っています。その時にはまたお付き合いください。
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さてそれで、推理小説の読み方なんですが、読み進めてゆくと謎がたくさん散らばってきますよね。
これらを、みなさんは自分でも推理しながら読みますか??
わかりやすい例だと、「読者への挑戦!」みたいな読み物です。謎編・解決編、と分かれ、謎や伏線を「さぁ諸君、解いてみたまえ」と読者に投げかける。そして解決編で探偵役が出てきて謎解きをするという趣向です。
これ…、やったことないんです。「読者への挑戦」ものでなくて、通常の小説の形のものでも、ぜんぜん解いたことないんです。解こうとしたことがない。
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そうやって長いこときましたが、先日読んだ北村薫氏のエッセイで、北村氏も解かずに読み進める、と書いてありました。あ〜同じ方がいる〜、しかも大好きな作家・北村薫だーと嬉しかった!
推理小説であっても「物語」なんですよね。ただ単に謎を解明するなら、パズルみたいなもの。謎はエッセンスであって、人物ひとりひとりの、小説の場の中での来し方行く末を読み・感じるのが大きな醍醐味だと思うのです。
だから別に推理小説でなくてもいいんですが、そこはやっぱりハラハラドキドキ、ピンチをどうやって乗り越えるのか、殺人事件の動機は?なんて、時にはスリルも味わいたい。だから好みなんだというだけですね。
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それを主人が、ドラマなどで推理ものがあると、ことごとく謎を解くんです。解説付きで。
カルチャーショックでした(大げさ)。そんな必死に「犯人は◯◯だ」みたいに言うのを、驚きを持って見てしまいました。そして、犯人を当てるともう興味がなくなった、みたいな顔をするのです。コラ!
反対に私は、謎と解決は二の次で、全体の流れの中で主人公たちがどんな道を歩いて行くのかが知りたい。のに、途中で解説するから集中できない!(笑)あ〜この人とは推理ものの映画とか一緒に行ったらあかんなぁ、と思いました。
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楽しみ方にもそれぞれの個性があるものですね。私はひとりで推理小説にどっぷり浸ろうと思います。
考えてたって答えは出ない
こんにちは。
なんかぐだぐだと不景気なことばかり言っとんな。という気がしたので、更新して気分も刷新!
前回の記事では、また元の安穏とした小さな世界に戻ってしまうのか、そんなのはいやだ、とうすら寒さを感じたのですが、そんな、おいそれと自分のすべてがわかるわけもない。
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せっかく変わったのに。いや、変わったと思ったのは錯覚か? 思い込みか?
自分の内面のことだから誰かと比べられない。もし比べられたとしても安心できない。
確固とした理想像があるわけでもなし、理想の姿があっても、時間をかけないと実感はできないものだろうし。
くりかえしくりかえし、変わらないかもしれないと思いながらでも、ちょっとずつやってみるしかない。
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それに、できないなんて、自分で自分のこと見くびるな、とも思う。
考えてたって答えは出ない。そう、行動しないと答えは出ない。
自分に足枷はめるな。「自分を信じる自分」を誇りに思え。
自分との闘いだ!
秋風が吹いたから
こんばんは。
前回の記事から引き続き、今もあんまり調子はよくないです。自分ではその期間が長いな〜と感じていますが、カレンダーを見るとそうでもなかったりしますね。
身体と頭の感覚が分離しています。原因探しをしてもしょうがないんですけど、あえて言えば、秋風が吹いたから、かなぁ?(なんじゃそりゃ)
今までの熱気が薄れ、身体が暑さにうんざりすることがなくなった。それで、身体が動きやすく軽くなったのはいいけれど、今度は乾燥や風が吹くことで知らずに冷えるようになった。
光の強さも変わったし、日も短くなってきている。季節や天候の影響ってやっぱり大きい。
目に見えるもの・聞こえるもの・肌に触れるもの・食べるものが「秋」へと大きく変わると、気持ちは内へ向かうようになりますね。冬支度ですね。
でも秋も冬も大好きな季節。ようやくやってきたか!と毎年思います。今年の秋冬はどんな風に楽しもうかなぁと思い巡らせます。
暖かい色の小物やカバー類が欲しくなったり、温かい飲み物のレパートリーを増やそうと考えたり、こまごまと料理をしたりしていると穏やかな気持ちになってきます。
夜に公園で星空を見たり、秋の空を見上げて散歩することも楽しみだけど、家にいる時間を長くして、それを優しいものにしたいといつも思う。
私の秋は、より内向的で静かで、それは今までの私のままで、非常に懐かしく居心地がよい。
外に発散していた自分をぐいっと中へ引き戻されているような感じがする。この半年は、今までの意識の向きをガラリと変えた。なのに、今になって反動だか何だかでまた元に戻ってしまうの? ものの捉え方や考え方を確かに変えた、と実感するようなこともあったのに、また同じことの繰り返しに戻ってしまうの?
***
最近はずっと、知らないことを身の内に入れて、どんどん入れて、入れすぎて消化不良を起こしてたみたいです。(実際に、お腹が張ったり食欲もないです)
身体と感情とを第一に、気になったことや興味を持ったことに邁進していたら、いつのまにか置き去りになった頭が「私の言うことも聞いてよ!」と言い出した感じ。
いつも静かで内向きで、あまり動いたりするの、好きじゃなかったでしょ?! なんでそんな急に活動的になるの!、なんて言ってるみたい。
季節による体感が大きく変わったことで、まだ身体も頭もついていけてないようです。感情の波立つ過剰な夏は、自分を鼓舞して一気に進むことをよしとしていたけれど。
たくさんのことに影響を受けて、受け止めてきたから、今度は自分の内で熟成させていけたらな。
今からはしばらく淡々と身の回りのことをする。派手でも華やかでもなくていいから、静かで柔らかいものを探して気持ちを和ませよう。そんなふうに思いました。
秋になってピヨスケくんはますます血気盛んです。
無題
こんばんは。
久しぶりのお花。このピンクの花は、草のような匂いがします。名前は相変わらず覚えていません。
でもきれいだな。
涼しくなったから、また花を買える。秋の花もあちこちに咲きはじめましたね。
おとといあたりに、ようやく「秋になった」と感じました。自分の体感ってあるものですね。
そのあと急に冷たい風が強く吹き、昨夜は寒いくらいでした。
***
なんにもしたくない気分で、なんにもせず、こんなんじゃダメだという自分の声に負けそうになりながら、今日はなんとかのりきる。
考えることは追いやって、冷えた身体を温めて、いつもは読まない楽しむためだけの本を読む。
身体は温まらず、本も進まず、笑顔も出なくなって、いつまでもぼんやりする。
食べたいものもない、飲みたいものもない。
感覚も鈍り、ただ目が開いている。
どこにも行けないような気がして、迷い込んでそのまま沈むような気分。そんな日もあるさ。
息をして、内臓も手足も動いてくれて、それだけでも感謝だ。それだけでもいいんだ。そうして、立ち上がって、上を向く日を待つ。
笑いの手相
こんにちは。
昨日の大雨が過ぎて、今日は気持ちよく晴れています。
自分の手相って意識して見たことありますか?
この夏、手相講座にニ度ほど出かけました。意識を向けて日々観察していると、変化していることを発見できます。
変わった!とわかったからといって、じゃあどんな状態なのか?は調べなきゃわからないんですけどね(笑)
講座の先生いわく、手相は毎日変わります、とのこと。おもしろいですね〜。
私でも一度で覚えた手相があります。
画像の真ん中にあるのが「感情線」です。この線のはじまり(右側面)あたりに、さかなの骨みたいな細かい線がたくさん出ているのがわかりますか?
これは「お笑い線」だそうです(笑)
堀向勇希さんの手相講座に参加した時、「西に行くほど多い」とのことで、さらに10名ほどの参加者のほとんどの方がこの手相を持っていました。(会場は大阪で、みなさん西日本から来られた方々でした。)
土地柄との相関性があり過ぎて納得するしかなかったです。私は両手にあるので、公私ともにお笑いを大事にしてるようです(笑)
それぞれの講座の先生のブログをご紹介します(^-^)
*堀向勇希さんのブログ↓
https://ameblo.jp/ypa-net/entry-12075451833.html?frm=theme
*手相読み ひふみさんのブログ↓
https://ameblo.jp/happy-maker123/entry-12308418368.html
ということで、今日も私は笑ってます。
もし、制限がなく
こんにちは。
購読しているメルマガに「もしなんの制限もなくて夢が叶うとしたら、どうなりたいですか?」とありました。
どうなりたいだろう?
先日お会いしたNちゃんに同じように、「なんでもできるとしたら、なにをしたい?」と聞かれました。
とっさに「勉強したい(知りたい)」と答えました。知らないことをもっと知りたい。…その時は、勉強を始めた時だったから余計にそう思ったのだけど、知識を得たい、ということだけではないなぁ。
***
自分のことも、近しい人のことも知りたい。
自分が、何をどう捉えてどういう風に感じ考えるのか。人が、何をどう捉えてどういう風に感じ考えるのか。
自分のことはよくわからない。けれど、人の話をじっと聞いていると、自分にとっての気づきになることはたくさんある。それは内容だけではなくて、発する声の調子や強さ、表情や動き、空気みたいなもの、からも気づきを得る。
人のその動きや、揺らいだり迷う姿を見たり感じることは、心のとても柔らかいきらめいた部分を見ているようだ。
そしてとても温かい気持ちになる。一生懸命だ、がんばってるんだよねぇ、って笑って励ましたくなる。その姿は私のちからにもなる。
***
ほんの少しのやりとりであっても、私に向けて放ってくれた言葉は、私の気づきになっている。表情や動きも同じ。
私はすぐにキャパオーバーになるので、わからなくて受け止められていないことはたくさんある。でもその場やその空気の感じはぼんやりと受けている。今は受け止めきれなくてもいつかわかるかもしれない。それまでだいじにしまっておく。
***
もし制限がなく、なんでもできるとしたら、なにがしたい?
なにがしたい、というよりは、どんなふうでいたい、という方が近いかなぁ。
自分や人をもっと知っていけたら、お互いに居心地よくいられると思うんだなぁ。(私はイレギュラーに弱いので、さまざまなパターンを知っておくことで安心する。だから知りたいって思うのかもしれないな。対応しきれなくて慌てることのないように、準備しておきたいんだな。)
自分の性質を知っていくことは限りがない。昨日と今日では気持ちや考えも変わってるかもしれないし、次々あらわれる自分を知っていくことは自分の発見。一生一緒にいるんだし、制限を設けずにいいところをもっと探してあげよう。
そして、穏やかに、心をほどいたような笑顔で、気分よくいられたらいいなぁ。それがいちばんなりたい姿なのかもしれない。
蚊に…
こんばんは。
油断して茂みの近くに行くとまだ蚊に刺されますが、いかがお過ごしでしょうか。急に涼しくなって、身体は助かっております。
さて「蚊に刺される」と通常言いますが、みなさんはいかがですか。
うち(実家)では「咬まれる」と言っていました。(ちなみに両親は愛媛出身です)
そしたら宅配便漫画ブログのゆきたさんがお住いの名古屋では、「くわれる」と言うことが判明…!
「食われる」って…! 強そう…!
https://ameblo.jp/yukitanoyonkoma
(ゴゴゴゴ…)
ゆきたさんの漫画、面白いですよ!
なんでヒョウ柄やねん
こんにちは。今日はツッコミたい!と思ったできごとです。
先日、大阪の繁華街へ出掛けました。その帰りに乗った電車のドアが。
ばばーん。
ヒョウ柄でした。
連結部の扉も。
ばばーん。
この電車はたしかに動物園に行く路線だし…って、だからってヒョウだけ“ ひいき ”ってのはあかんやろ〜。(論点はそこじゃない?)
もうこれは「大阪」だから、と納得するしかなかったのでした。あ〜あ。
ではなぜペンギンが…?
ばばーん。
「言葉」の危うさ/「言葉」での共有
こんにちは。今日は「言葉」についてです。
先日オススメした穂村 弘氏のエッセイにこんな文章がありました。
それが善意や励ましの気持ちからであっても、誰かの心に「言葉」を贈るのはこわいことだと改めて感じた。音楽や絵画と違って、「言葉」は意味から自由になることができない。それを見たり聞いたりした者の心には必ず「意味」の解釈が入り込む。そこに致命的なズレが生じる可能性があるのだ。
…「お見舞いの失敗」/『鳥肌が』(穂村 弘)より引用
友人Aさんが重い病に倒れ、周りの人たちも心配しているなか、Aさんと仲のよいBさんがお見舞いに行ったそうです。
そこでBさんはお見舞いの品として「絵本」を持って行きました。
「毎日の何気ない時間と小さな出来事の一つ一つがかけがえのない宝物、みたいな内容だったの」
(中略)
それは、と私は思った。確かに一歩間違えると危ういところがある。
(中略)
「その『宝物』をいま私が失おうとしているのに、って云われちゃったの」
(…引用 : 同上)
…とてもこわいことです。
なんとか元気づけようと心を砕いたとしても、今できる精一杯の愛情から出た行動だったとしても、送り手と受け手のとらえ方がズレると、こんな風に決定的な結果になってしまう。
私は「言葉」は不自由だと感じています。「言葉」で表せることなんて、ほんのちょっぴりしかない、と思っています。前述の穂村氏のエッセイのとおり「意味から自由になることができない」からです。表出しない意識の世界は膨大で、あえて「言葉」にして出さなくてもいいものだ、とも思います。
でも、なんとかして「言葉」で表してみたい、とも思うのです。意味がつけられ限定したものになってしまう言葉ですが、言い方を変えたり、比喩を用いたり、飛躍した使い方をしたり、なんらかの形で、伝えたいことを表してみたい。
送り手と受け手には、ズレはあるもの。それはわかったうえで、そのズレを通り越して共感できたとしたら、「通じる」ことの喜びを感じることができるのじゃないか。輝くような高揚を感じられるのじゃないか。
届いた、通じた = 共有ですよね。同じものを同じ意味合いで、もしくは意味も何もとっぱらって、「一緒に」見ること感じることができた、ということですね。
それを喜びととらえている私は、ひとり、ふたり、みんなと一緒に、喜びを共有したいと思ってるんだなぁ。そんな一瞬を、追い求めていきたいと思ってるんだなぁ。
みんなと一緒に楽しく過ごすことが自分をあっためてくれる、と気づきました。そんな自分があったなんて知らなかったなぁ。
***
9月になりました。新しい月のはじまりです。日々いろんなことがあるけれど、楽しみを自らつくっていこう。
漢方養生指導士・中級講座の勉強も始めました^^
凝り固まってたのは私の心
こんにちは。今日は、ようやく気づいたことについてです。
このブログでHSPについてよく書くようになりました。
どうしてもこの性質を好きになれなくて。解明すれば理解できるようになり、好きにはなれなくても仕方ないと思えるようになれるかと思って、いろいろと考えを巡らせては吐き出し、思い込んでは吐き出ししてきました。
それはそれとして。
このHSPについて考えたり情報を集めるため動かなければ、今の仲間には出会ってなかったんだ、と、ようやく、ようやく気づいたのです。
こんな私なのに、そのまんま受け入れてくれてた仲間がすぐそばにいた。なんともはや。
ブログでのつながりだけでお会いしたことのない方もいます。HSP茶会で出会い、お話するようになった方もいます。違う出会いをして、HSPについて話すことができた方もいます。
どんな出会い方だったとしても、仲間です。私にとっては。
普段の人間関係では、そうそう気軽に心の話はできません。そんな話をするには、関係性を作っていかなくてはなりません。
でも、この仲間たちには、思うまま心のことを話せます。しばらく間が空いても、すっと戻れる。
ずっと、心の話がしたかった。若い頃から思ってた。でもだいたいの人は、そんな重たいような、暗いような、考えなくちゃいけないような、自分を晒すような、そういう話はいやがるんですね。
いやがる顔は見たくないし、そんな顔にさせたくもないから、すぐにその話題は引っ込めて、当たり障りのない“ 楽しい ”話をしていたな。
いや、もしかしたらいやがってなかったかもしれない。私のアプローチの仕方がまずかっただけかもしれない。
今となってはわからないけど、でも諦めずに、心の話をできる人たちを求めてきてよかったんだな。
そのきっかけになったのは「HSP」だったんだ、とようやくわかった。
今まで見えていた面が、くるっとひっくり返った、そんな感じ。
きらいなHSP性質が、私を受け止めてくれる人たちを連れてきてくれた。もう一から十まで事細かに説明しなくても、底の部分で通じてる、と思える関係をもたらしてくれた。
なんと受け止めていいかわからず、ちょっとまだぽかんとしています。
穂村 弘と岸本佐知子<意識しないズレを意識させる作家>
こんにちは。今日は好きな作家の話です。
穂村 弘 氏と、岸本 佐知子 氏。
ふたりは、歌人と、翻訳家・小説家です。このふたりの「エッセイ」を読んだことはありますか?
ほむほむ(穂村氏はこう呼ばれているらしい)の本業である、歌集や短歌評論も一応読んだことがありまして、言葉や歌に対する本質的な論理展開にはさすがと舌を巻きますが、
エッセイを読んだ時の脱力と爆笑と、かすかな苛立ちとぞっとする感じ、奇妙な感じは、他の作家にはない。
岸本佐知子氏の翻訳は読んだことがないので、岸本氏の文章や文体を知る上で片手落ちかもしれないのですが、
エッセイの面白さはもう笑って笑って疲れるくらい笑った後に、うっすら怖さと奇妙な感じが残る。さっきまで笑ってたのに、しーんとした心境になる。これも他の作家にはない。
扱う題材は身近なものや知っているものでも、作家の目で文章になるとなんであんなに輝くものになるんだろう。
今までなんとも感じなかったことが、突然クローズアップされて細部まで見せられたような、凹凸とかザラッと感まで感じさせられる。このふたりには、表面だけでなく、裏面のつぶつぶまで見せられて、うわっ見ない方がよかった、と思わされる感覚。
***
話は変わるのですが、『借りぐらしのアリエッティ』を観て、ぞっとしたんです。
中盤で、アリエッティらの種族とは違う小人たちが出てきますよね。あの微妙に違うサイズ感にぞわっと脳内が粟立つような気がしました。
それは、大人と子どもの大きさの違い、とは根本的に違う。まるで遠近感をたがえたような感じ。
あの人たちは違う種族だけど互いにしゃべっている。でもそれは言葉だけであって、英語のような共通の言葉を使ったり、現代にも自動翻訳機があるし「話す」ことについては意思疎通が可能なんだろうと理解はできる。種族間の行き違いや無用な争いをさけるために、共通の言葉を使って相互理解をしようと歩み寄れる。
でもあの人たちは、生活で使うものの貸し借りはできない。だって、サイズが違うから。服も、靴も、ペンやコップや皿も、それぞれの種族の心地よいサイズがあるはずで、それはおおもとの種類が違うから歩み寄れない。
例えば、目玉の大きさ。もし移植をしようとしても、サイズが違うので入らない、または小さすぎる、となるということですよね。心臓、胃、といった内臓も、同じものなんだけどサイズが違うということ。
日本人と欧米人では子どもと大人くらい体格差があります。けれどそれは体格差があるだけで、同じコップを使っても使い心地がまったく違うということにはならないけど、あの小人たちの違いはそれとはぜんぜん違うんじゃないか。
だから、微妙に違うサイズの人たちがたくさんずらっと並んだら、それだけその人たちの背後にはその人たちそれぞれの世界や歴史が広がっていて、それらは重なることがない。そう思うと、膨大な質と量のパラレルワールドのようなものに圧倒されそうになる。
表面上は似てるのに、属するところはまったく違う。
見た目が相容れないくらい違っていたら何も思わなかったと思う。同じような外見をしてるから余計に「違い」に驚く。この怖さ、「ぞっとした」感じをうまく表現できなくてもどかしいです。
***
…えらく話が変わりましたが、こういった、ふだん意識しない「ズレ」をソッと差し出してくれるのが、穂村 弘氏と岸本佐知子氏なんです。だからはじめは面白くって笑うんですが、よくよく読んでいると奇妙な「しーん」とした状態や感覚に引きずり込まれます。だんだん怖くなって、その怖さをごまかすためにまた笑う。ひきつり笑いのようになってきます。
奇妙な感じを味わいたかったら、迷わずおすすめします。ふたりのエッセイ。
夜の神戸の海際で
こんにちは。先日思い立って夕方から神戸に向かいました。
夏休みなので夜になっても人がいっぱい。ハーバーランドの突堤にもくつろぐ人がいっぱいでした。
ウッドデッキ状になっている岸壁沿いの遊歩道に、こんなライトがありましたよ。
千鳥の重ね模様がかわいいですね。
柵についている影絵のようなライトで、足の長〜い水鳥のできあがり。
足なが〜〜
夜の海は真っ黒でたぷんたぷんとして、苦手な潮の匂いがうっすらとしました。
それでもここに来ると安心する。
いつも思う。
今までこの神戸の海にはずいぶんと助けてもらったなぁ。心が風邪をひいたような時に一人でよく来た。
冬が多くて、灰色の空の下、それでも深い青の海の揺れを眺め、遠くのマンション群や倉庫やキリンのクレーンを眺め、空を眺め。風が強くて。でも寒いとか暑いとか、そういうのも感じなくて。ただからっぽになるのが心安らぐ時間だった。
じっと見た後、歩いて駅まで戻りまた電車に乗って帰るだけなんですが、そして、何も変わったとはいえない心持ちと状態の中に帰るんですが、この海にいる間だけは、心細くても怖くても静かに安らいでいて、息ができたような気がします。
淋しいなぁ。でもここに来ることが私のだいじなだいじな時間だったなぁ。
今の私がそのころの私に寄り添ってあげられたらいいのに。でも私のことだから、少し離れたところから見るしかできないんだろうな。
今日は旦那さんと来たよ。今のところ、淋しくて来ることはなさそうだよ。また来た時はどうぞよろしくね。だいじな場所。
インプット・アウトプット 2
こんにちは。先日の続きです。
私にとってのアウトプットは、情報や気づき、考えたことを出す、ということでした。
今回はアウトプットの別の側面「感情を出す」ということについて。
…といいつつ、もともと私は「感情を感じる」ということがよくわかりません。苦手と言ったらいいのか、なんだか非常にぎこちない。感じにくいものだから、それを出すことも苦手なたちです。
内から湧いてきたものが一体感情なのか? 思いなのか? 考えなのか? と悩んでいる間に、湧いてきた瞬間の鮮やかさは消え去り、しばらくたってあれは感情だったのかなぁと考える、そんな感覚です。
複数の人と話している時など、同じように迷っている間に次の話題に移って置いてかれてることもよくある。
うんと小さな頃はこうじゃなかったんだろう、多分。でも小学生以降はなんかボーッとした、あまり感情をおもてに出す子どもではなかった。暗い子、何考えてるかわからない子、と母親に言われたことが何度もある。(ひどいな)
だからといって、内面も何も感じてなかったわけではないと思う。母親にそんなこと言われて傷ついたし、でも「感情的」な状態にはどうしたってなれないし、だから何も言われたくなくて演技したり、余計に気持ちを出すまい、となっていったような気もする。
高校生になってから、ようやくものごころついて、こんな「暗い子」はいやだなと、努めて、楽しい・面白いを外に出すようにしてきた。明るい声でアハハと笑ったり、人と話す時は多くあいづちを打ったり共感の言葉をかけたり。
人と話す時に手のひらを広げて机に置く、といったことも意識的にしていた。文字通り、手の内を見せる、というようなオープンな気持ちでいた。はじめはドキドキで、ドーンと当たって砕けろという気持ちで臨んでいた。
文字も、努めて大きくのびのびと書くようにしたり、歩く時も大股ではつらつと歩くようにしていた。自分の内側から広げていこうとする感覚だった。
努めて一生懸命やっていたら、できるようになった。そうして、自分を作ってきた。
それが自我の表出だったのか、母の呪いだったのかはわからない。私は私の考えでそう行動したのかな。暗い子だって思われたくなかったのかな。わからない。でも変わったことは母親にもわかったらしく、とたんに「明るくなってよかったわー」とか言ったな。こんな「演技的な私」の中身を理解することなく、表面上の私によかったとか言ってる。なんだ、認めてほしいと願っていた母親ってこんなもんだったのか。たいして嬉しくないな。もう、自分の感性を押し付けてくる母の理想とするような私にはなりたくないな。けれども努めたかいあって、実社会では人や場に合わせて明るく振る舞うことができる私ができていった。
私が本当の意味で感情を出せたのは、実家から出た時だ。正確には今の旦那さんと再婚して以降だ。だから8年くらい。
それまで自分はネクラだと思っていた。心底暗い人間なんだと思ってた。
ぜんぜん違いました。今の旦那さんと再婚して、はじめて自分の根っこの明るさと、感情がいろいろとあることを知りました。そして、演技しなくていいことを知りました。楽になったし、自然に笑えたし、飾らなくなった。すぐに自己否定するクセはなくならなかったけど、ずいぶんと手枷足枷が外れた。
そして「暗い」私を、私自身は好きだったことに気づいた。「暗い」とひとことで言っていますが、「遠慮深い」「思慮深い」「軽はずみでない」「おとなしい」「静か」「穏やか」といった、私がなりたい、と望むような素晴らしいところがたくさんあるのです。
「感情を出す」ことは私には難しい。今までの来し方を振り返るに、どうしても子どものころのことが出てきて、よって母のことも出てきたが、今はそこまで恨みに思っていません。好きではないが、母なりの愛情表現だったのかもしれない、と判断はできます。(いやだけど)
母がきっかけではあるけれど、でも一生懸命に努めて、自分を作ってきた「自負」はあるのです。
初めは母や人の目を気にしてやっていたけど、途中から、自分を広げることが自分の充実になることに気づいて、不器用に試行錯誤してきたその「自負」は、今の私の「自信」と「強さ」になっている。ちっぽけなものだけど、私だけのものだ。
しかし「感情を出す」話から母のことになって、いまだひっかかっていることが大いにあるんだなと気づきました。母もしくは私が死ぬまでになにかの答えが出るのかどうかはさておいて、考える時期が来ているのかそれともお盆という微妙な時期だからそんなことを思ったのか。
「感情を出す」ことは、まだよくわかっていない。出せたらいいし、出せなくてもいいや。それが私なんだから、それでいいんだ。