ひとは思いこみでできている

思うこと 気づいたこと なんでも書く

身体を流れるきれいな水

こんにちは。

最近、息苦しくないですか?

この息苦しいは、ほんとに「息がしづらい」という意味です。

 

息苦しいのは「湿気」が一因だそうです。

湿度の高い日が続いて身体に悪影響となった時、体内では何が起きているのか?

身体の中を流れる水分は、本来はとてもきれいなものだそうです。身体のすみずみまでうるおいや栄養をいきわたらせる役割です。

それなのに湿気によって、ベタベタ、ネバネバ、と粘って濁って汚くなってしまうそうです。このネバネバが、体内のあちこちにべったりくっつく。そうすると、経路が狭くなってしまい、きれいな水分が流れにくくなる。

空気の通り道である鼻やのどもふさがれる感じがするので(実際にふさがれてる状態)、それで息苦しい。

なんとな〜く身体で感じていてわかったような気になってたことが、実際にそうだったと知って、あたまの電球が光りました💡ぴかーん☆

 

そして、身体の中を流れる水分はきれいなもの、これは知らなかった。というより意識したことがなかった。

私たちの体内を流れてる水はみずみずしく、栄養もたっぷりで、清らかなんですね。

自分の中の水はきれいだ、って思ったら、何だか褒められたような気分で嬉しくなりませんか? (^-^) そんなきれいな水が流れてるなんて、人間ってすごいな〜。 

はじめの一歩

こんにちは。

先日、” 養生 ”(漢方)について勉強中とお話しましたが、ちょっと発見があって面白かったので書きます。

「漢方の病因論」として、「内傷(七情)」(ないしょう・しちじょう)というものがあります。

 

内傷は体内・自分の内から起こるもので、七情とは七種類の感情の動きのことをいいます。

感情の動きが急激だったり、長く続いて、「過剰」となった時に、健康を害する要因となってしまうことをいいます。

七情には、「怒・喜・思・悲・憂・恐・驚」の七つがあります。それぞれ漢方でいう「対応する臓腑」があり、その臓腑の「気・エネルギー」が「七情」によって侵されると病気になる、という考え方です。

怒 → 気が上がる

喜 → 気が緩む

思 → 気を結ぶ、気がつまる

悲・憂 → 気が沈む、気が消える

恐 → 気が下がる

驚 → 気が乱れる

漢方をご存じない方も、なんとなくイメージできるのではないでしょうか?

怒り心頭に発す、といえば、頭から湯気を出して怒っている、血圧も急上昇、みたいなイメージが湧きますよね^^

この「」というのが言葉にしづらく、目に見えないものなのでわかりづらいと感じていたのですが、七情については、「気」を「声」や「身体(筋肉)の動き」に置き換えるとわかりやすい!ということに気づいたのです。

すなわち・・・

→気が上がる→ 声が上ずる。肩もいかってきて、頭からカッカと怒気が上がる感じ。

→気が緩む→ 声や身体がゆるむしまりがなくなったりフワフワしたりソワソワしたり、喜んでとび跳ねたりするので落ち着かない

→気を結ぶ・気がつまる→ 思い悩み過ぎて声がつまる・出ないぐっとこらえる感覚。身体も固まってぎゅっとなっている感じ。

悲・憂→気が消える・気が沈む→ 意気消沈声は小さくかすれ、消えるよう。身体も肩が下がって沈んでいる感じ。

→気が下がる→ 恐れるとしゃがみこむ腰が抜ける感覚。声も出づらくなる。

→気が乱れる→あわてふためく。声も乱れる。身体もガクガクとぎこちない動きになる、ふるえる感じ。

 

いかがでしょうか^^

対応する臓腑(五臓といいます)の「気」がまっさきに影響を受けるのですが、たとえば「思」であれば、対応するのは「脾・胃」といい、食べ物の消化吸収を担う臓器です。そのため症状として食欲不振になったり消化がうまくいかない、という状態になります。

そしていずれの七情も、対応する五臓とともに「心」という臓腑に影響します

」(しん)とは、血(けつ。血液だけでなく、栄養の源をいいます)を巡らせるとともに、精神活動(精神・意識・思考)を担っています

そのため、「思」(思い悩み過ぎ)は、「脾」「胃」とともに「心」にも影響します。

そうすると食欲不振プラス、動悸がしたり、集中力がなくなったり、不安感を持ったり、物忘れをしたり、眠れなくなったりとまったく「気持ちが落ち着かない」状態になる

対応する五臓に加えて、「心」のケアも必須になります。

さらに、「心」はほかの臓腑の機能もコントロールしているので、「心」が弱ると違うところにも影響してしまいます。それぞれの臓腑は、そのつながりの強弱はあるもののひとつだけで動いているわけではないので、ここだけ治せばいい、というだけでは済みません。

・・・

「声」や「身体の動き」に置き換えるとわかりやすい、ということを発見したとだけ言うつもりが止まらなくなってきました。

漢方って、肉体のことだけではないんですね。こころや意識・思考についても身体の一部として捉えて考える

そして、逆も考えられるんですよね。

「脾」「胃」が弱ると思い悩みやすくなる。

「怒」に対応する五臓は「肝」といいますが、「肝」が弱ると怒りっぽくなる

「喜」に対応するのは「心」ですが、精神がどっしりと落ち着くためには体内の「血」が必要です。その血が足りなくなると、「心ここにあらず」な状態になります。血そのものが足りない = 貧血、だったりすると、頭にも血がいかずふわふわした感じになります。落ち着いてものを考えたりもしにくくなる。

さらに、「心」がコントロールする「血」を貯蔵しているのは「肝」という臓器です。「心」が弱って「血」が足りなくなってしまったら、「肝」もあわせてケアし、貯蔵量を増やすこと。すなわち、「血」の材料を摂り入れること。

・・・

ますます止まらなくなってまいりました。

私はまだスタート地点にも立てていないくらいの素人で、いまは暗記するだけで手一杯ですが、知れば知るほど目が開く感覚です。それぞれの臓腑のはたらき、感情の動き、そのほか季節、年齢、性差、生活環境などが互いに影響し合っている。

漢方は、「人」を見て、診ることができるんですね。その人のオーダーメイドで考えていけるところが、西洋医学とまったく違っています。

同じ症状でも、体質が違えば治し方も違う。

住む土地柄によって、出やすい症状や病気が違う。

季節や年齢で、気をつけることも違う。

これらって、考えれば「違って当たり前」のことなんですけど、意識しなければ流してしまうことでもありますね。

漢方を知ると、生活全般でいろんなことを試したくなるし、原因と結果のつながりがわかった時にとっても面白い!

なるほどなるほどなるほど~! ってなります。^^

・・・

いやはや、まだ試験勉強中なのですが^^ お付き合いありがとうございます。

 

にごる言葉に親近感

こんにちは。

エレファントカシマシさんのライブに行ってから、ようやく今までに出ているCDを入手しあらためて聴き始めているのですが、宮本さんがライブで「エレファントカシマシ、いろんなタイプの曲があると思うんで」と言われていた通り、曲の振り幅が大きくて。

 

オールタイムベスト盤のあと、手初めに『DEAD OR ALIVE』を買い、Yちゃんに『俺の道』を借り「めっちゃいいわ!」と驚き、『ココロに花を』『明日に向かって走れ』『STARTING OVER』を入手し立て続けに聴いていますよp(^_^)q

……やっぱりアルバムによって曲の世界観の振り幅が大きいですね。どこを自分の基点にしたらいいかな(^-^)

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  (あえての裏面)

エレカシさんといえば、宮本さんのキャラクターが突出しているので、つい面白いからそちらに注目しておりましたが、ひとつひとつの曲を聴いてみると、割合聴きやすいものが多いのですね。

いやあの(^-^; 、意外に感じたのは、若い時のキャラクターを見ると、怖そうなところとひどく繊細なところ、傷だらけになってもその傷口をむきだしのままにしているようで痛々しく感じて、この人は笑わないし笑えないんじゃないか、と思っていたのです。

歳を経て、傷口を隠すすべを少しは見つけられていったのか、若干安心して見られるようになりましたが。

そしてすべて聴いたわけじゃありませんが、今のところダントツで好きなのは『俺の道』です! 

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実はうちは夫婦でハマっています。
主人は、一球入魂型、と言えばいいのか、気に入った数曲を何度も何度も何度も聴く。そしてちょっとずつ増やす。
私は、まずは網羅したい、と全部ザーッと聴いて、そこから気に入ったものを絞って繰り返し聴く。


主人は、あの箇所でのあの楽器がどうの、ファルセットはこの部分だ、みたいな細かな違いを楽しんでいる。
私は、音楽にも楽器にも詳しくないので細かな違いはわからないけど、通して流れるうねりや響きや勢いを楽しむ。

それぞれで、面白いですね(^-^)

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そして表題の「にごる言葉」ですが・・・

私はつい「自転車」を「じんしゃ」と言ってしまうのですが。

そしたら、エレカシの宮本さんも『Baby自転車』で「じんしゃ」と言ってました。あ、言う人いるんだ、とちょっとホッとしました。

そして、宮本さんと同じく、私も「いのしらこうえん」と言うと思います。(『リッスントゥザミュージック』)  

ほんの小さな共通点に、親近感が湧きました。

 

 YちゃんCD貸してくれてありがとう!!

いよいよ『ツイン・ピークス』

こんにちは。 

ツイン・ピークス』始まりますね。

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(画像はお借りしました)

ずっとずっと待ってました。

私のデヴィッド・リンチ好きは、年季入ってます。(まぁただ好きな期間が長いだけとも言いますが…)

 

ツイン・ピークス』を学生時に見て、その世界観に魅かれて『イレイザーヘッド』を見て(どちらもビデオです、ビデオ懐かしい)、なんじゃコリャ!!と思ってからずっとファンです。

90年代以降の日本に来た映画『ロスト・ハイウェイ』『マルホランド・ドライブ』『インランド・エンパイア』を映画館に観に行きました。いつも割と空いてるところがリンチだなと感じます。

たぶん誰も付き合ってくれないと思って一人で行ってましたが、一人で正解!  この世界を味わう(理解は不可能なので)には、一人の時間がどうしても必要です。

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今まさにWOWOWで第1話を特別公開中です。

ツイン・ピークス The Return』第1章 

http://news.mynavi.jp/ad/2017/entertainment/wowow/sp_r/

早速観ました。そうそうこれこれ、この世界。おなじみのリンチの世界です。懐かしい部分もあったけれど、新たな謎がたくさん出てきて気になってしょうがない。

リンチ作品は、もうなんなのかわからないままに引きずり込まれる。画面に映るすべてが妖しく疑わしく感じる。普段見過ごすモノや場所、色や音、表情や動き、光も影も、すべてに意味を持たせておいて、大小取り混ぜて散らばせる。毒々しい色合いで耳触りな音で、こちらの気を引く。訳のわからないそれらの中には、でもとても美しく純粋ななにかが隠れているので、それを見つけたくなる。

お借りした画像を見ると、クーパー捜査官も、オードリーも元気そうですね。さすがに歳を重ねてます。

さらに『マルホランド・ドライブ』で主演だったナオミ・ワッツや、『蝿の王』の時の少年姿が好きだったバルサザール・ゲティ(『ロスト・ハイウェイ』に出演)なども出演予定だそうです。

 

マルホランド・ドライブ』のキャッチコピーは「わたしのあたまはどうかしている」でした。映画を観てうなずきました。まったく理解できないまま映画館を後にして、ようやく最近になって解説しているサイトを読んで、そういう意味だったのか!  とわかった次第です。その間15年以上。15年以上もの間、わたしのあたまの片隅にはその世界がありました。理解は二の次で、ただリンチの世界に酔うことが心地よく楽しいのです。そしてそんな心地にさせてくれるのはリンチ以外にいません。簡単に理解させてくれるなんてリンチではない。デヴィッド・リンチはこうでなくっちゃ。

 

放映がとても楽しみですね!でもうちにはテレビがないので見れないんですけどね。ははは!(泣)

勉強ワタシ

こんにちは。

3月頃から始めていた養生(漢方)の初級試験の代金をとうとう振り込んできたのです。

合格して、その資格を取ったとしても、活かし所もない。だから迷っていました。

しょせんは初級なので本式に役立てるなら、それ以降の知識やお金が必要。本式に役立てたいのかと問われると、どうなのか自分でもわからない。とても面白いけれど。

まずは結果を出すためにやらにゃなりません。

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私が勉強しているのはごくごく身近な、身の回りのこと。

日々の食事や年齢、季節。

どうしたってこれらに身体は影響されます。影響されすぎないよう日々の生活でできることをする。それでも負けてしまって出てしまう症状にどう対処するか。を知りたくて。

知識があれば、あらかじめ出るだろう症状もわかり、先手を打ってしんどさの波に呑まれないようになりたい、という動機から始めました。

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そうそう、感情も、身体に影響することが、勉強してハッキリ裏打ちされました。

身体が波打てば心も波打つ、といった風に相互に影響しますね。人間は「生き物」で「生もの」だ、と感じたのです。

それは、自分の身体と心を観察していて気づけました。観察から進み、実践してみる、すると納得する。

具体的にどんな風か、いつかまた書きますね!

 

テキストも、読んでるだけだとまったく頭に入らない。ノートに書いて書いて、考えながら、写すつもりで書いてやっと少し頭に入る。効率が悪いけど、これが私のやり方かぁ。

日々、勉強だなぁ。

 

 勉強だ  勉強  勉強しろ  勉強ワタシ

エレファントカシマシ「勉強オレ」を借りて) 

「うち」にかえる

こんにちは。 

「うち」ってどこを思い浮かべますか?

私のかえるところ。あなたのかえるところ。

単なる場所だけのことではない、心の居場所、住みか、戻れるところ。

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私は子供の頃、親の仕事の都合上、何回か引越しを経験しました。幼すぎて覚えていない場所もあります。そして結婚して離婚するまでの5年間で4回ほど移りました。一番長くいたところで2年くらい。

そういうこともあってなのか、住みかはここでないとダメ、というこだわりがありません。いろんなところに住んでみたい。いろんな景色を見てみたい。

 

引っ越して、新しい場所で、違う景色、違う道、違う駅、違う空気・・・

視線の先は未来だけど、まず足元を見て踏みしめること。不安の中にも何かが始まるような気がする。ここから作っていくんだ、とわくわくしながら暮らしのスタートを切る。

・・・でもそんな風に捉えるようになったのはごく最近のこと。

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「うち」「家」は、自分の羽を休ませる場所で、肉体的・精神的に、存分に閉じこもって次に羽ばたく準備ができるところ、と捉えています。

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今までの「うち」は、人に与えてもらった場所だった。親や前夫に。要は、自分が決めなくてよい、責任を取らなくてよい、他力本願的なぬるま湯。表面的な感謝。自分で決めていないからカンタンに出てくる文句。自ら未来を作っていこうとしない怠惰。そんなだったと今更ながら気づいた。

精神的な居場所がない。帰っても落ち着けない。家でくつろげない。いつも何かしら淋しく不安だ。

こんな風に思っていたのは、ずっと自分自身に責任を取ってこなかった自分の問題だ。両親のせい、前夫のせい?  違うね。両親にも、前夫にも、何も言うことはない。私が、私の場所だ、と言い切る気概を持たなかった。人のせいにしておけば楽だった。両親や前夫と、本音の関係性を作ってこなかった私の問題だ。ぬるま湯を享受していただけだ。

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今の旦那さんとの住まいは、旦那さんのお給料から家賃を払ってもらっており、だから金銭的には「私の」住まいとは言えないけれども。でも私はその形ある住まいだけでなく、旦那さんと、私自身の中に住みかを見つけた。

なんとなく生きるのじゃない。何が起こっても、なんとかする、なんとかしよう、と自分で決める。すると本音でいられる。

本音でいると、困った時もつらい時も怒った時も、隠さずにそのまんま表現できる。私の気持ちは、隠さずに表に出していいんだな。そう思ったら、受けとめてくれる旦那さんには感謝しか浮かばない。そして私も、私を受け止められるんだ。

どこへ行っても、ここは私の場所だ!って決めてしまえばどこでも居場所にできる。心寛げるそんな場所を、これからもちょっとずつ増やしていくつもりです。楽しもう。

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ピヨスケくんの「うち」は私です(^-^)

あなたが笑えば私も笑う

こんにちは。ちょっと気づいたこと。

 

私が笑えば旦那さんも笑う。

私がごきげんにしていれば、旦那さんもヨシヨシ、という顔をする。

私が明るくいれば、旦那さんも喜ぶ。

反対も同じく。

家族でも、友人でも、小鳥でも、同じく。

 

人とコミュニケーションが取れないと、わからなくて不安になる。だけど不安になるほどもう私は暇ではないので、わからないならわからないまま放っておく。こちらから働きかけて、それでも何もないのなら、それはもう私の問題ではないから。

私のごきげんのお守りは、私がすること。人の行動で私のごきげんが左右されるなんて、人におんぶに抱っこされてるみたいでカッコ悪い。

よって、気が利かない、空気が読めない、と思われてもケッコウケッコウ。

「わが、まま」であれ。

ヒペリカムの花言葉

こんにちは。

前回の花、白いトルコキキョウだけで少し淋しかったので、ヒペリカムという赤い実の花木を足しました。

いつも忘れるけど今回は名前を覚えていましたよ(笑)

どんな花が咲くのかを調べてみると、画像とともに花言葉が出てきました。

  • 悲しみは続かない
  • きらめき

だそうです。

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大切な友達に贈るなら、ヒペリカムにしたい、と思いました。 

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ヒペリカムの花は鮮やかな黄色です。夏の色です。そして実はこんなにかわいい赤のきらめき。

悲しみは続かないよ。

あなたがきらめくのを、未来は待ってる。

未来だけじゃない、わたしもみんなも待ってるよ!

焦ったり、もうダメだと思ってもいい。止まっててもいいから、くさらずにいよう。今苦しいのは、走り出す前にちからを溜めている時間なだけだから。

わたしはあなたが必ず輝くと確信している。だからなんにも心配していない。

少しずつ輝き始めてきたのがわかるね、そんな姿を待っていました。

うれしいな。ありがとう。わたしもがんばろう。

♬わたしの友達に向けて贈りました(^-^)

キャラクター考

こんにちは。

みなさん、アニメはご覧になりますか?

昭和のテレビアニメ全盛期に子どもだった私が覚えているのは、アラレちゃんうる星やつら小公女セーラじゃりん子チエです。忘れてますけど他にもいろいろ見ていたはず…!みなさんはいかがでしょう。

◇好きなキャラクターは誰ですか?

ふっと思い出した、好きだったキャラクターたち。思い出してみるとなんだか共通してるなぁと思ったので、並べます!

  • エスパー魔美」の高畑さん←ご存知の方いるかな? 魔美の世話を焼いてくれる頭脳明晰だけど気取らない落ち着いた同級生。(「魔美くん」とか呼ぶんですよね)

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(画像はお借りしました)

  • 「忍者ハットリくん」のハットリくん←表情変わらず淡々と(ニンニンと?)仕事をこなす地味だけどできる奴。主役っぽくない、と思ってました。
  • ゲゲゲの鬼太郎」←悪名高い?第3期の鬼太郎。夢子ちゃんに頼られる正義のヒーローになってしまい、ずるいところとか当初あった部分がなくなった時期。声が戸田恵子さんで、より優等生っぽい。でもこの「鬼太郎さ〜ん」が好きでした。
  • もののけ姫」のアシタカ←急にジブリですが…、故郷を追われ落ち着く場所もなく孤独にただひたすらに走り続ける礼儀正しい人。(表現が適当ですみません)
  • 妖怪人間ベム」のベム←時代もバラバラですが…笑。このアニメは実質3人しか出てませんけどね!しかしベムのあの渋さ!落ち着き!
  • 「じゃりん子チエ」の花井先生(親父さんの方)←頼れる!豪快!カッコいい。
  • 赤青黄ピンク緑、といたら、! ←冷静沈着、理性的、切れ者、といったイメージ

…ほら、共通点が見えてきましたね。

落ち着き・頼れる・堂々とした・焦らない・平静・大人、といったキーワードが浮かびます。特にね、エスパー魔美の高畑さんなんて、結婚したいと思ってましたよ私。

これはもう、自分にないものを求めてたんですねきっと。気持ちが落ち着かなくて感情の浮き沈みも激しいし、心の中は常に嵐が吹き荒れていたし。。

だから、静かに導いてくれる、落ち着いて待っていてくれる、怒らない“大人”に憧れてましたね〜。

 

四十をとうに超えて、では自分が大人かと問われればぜんぜんだと答えざるを得ないのが大いに不本意、ですが。だから憧れて、でもなれなくて敗北感を味わうんでしょう。

でも興味や関心がなければそもそも気にもしないわけで、理想や憧れは、もしかしたらそこを目指せる素地があるのかもしれない?!なーんて、そうなったらおもしろいですよね(^-^)

よし、思う存分憧れてみよう。いつかたどり着けるまで!

喜びを数えよう

こんにちは。

今回のお花はトルコキキョウです。

柔らかい花びらが美しい、涼やかな花です。

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私には、

理解者の旦那さんがいてくれる喜び

小鳥たちがいてくれる喜び

両親が息災である喜び

妹に家族ができた喜び

住むところがある喜び

身体が動く喜び

食べ物をおいしく食べられる喜び

眠れる喜び

本が読める喜び

美しいものを見られる喜び

悩むことができる喜び

想像する喜び

笑える喜び

 

青い空を見上げる喜び

暑さも寒さも感じられる喜び

 

友達ができた喜び

友達を想える喜び

 

楽しいことを楽しめる喜び

嫌なことを嫌だと言える喜び

好きなことを好きだと言える喜び

美しいものを美しいと思える喜び

 

喜びは、楽しみや幸せと言い換えることもできる。こんなに小さい自分でも、多くの喜びを持っている。

小さい自分は身の回りの世界しか見えなくて、その小ささがもどかしくてカッコ悪いなと思うけど。

己れを認めよ、自分以外にはなれない。

「幸せ空間ですね」エレカシツアーレポート

こんにちは。先日開催されたエレファントカシマシ 30周年記念ツアー “THE FIGHTING MAN”〉神戸公演に行って参りました。

 

(さすがエレカシさん、ツアー真っ最中ということで注目度も高く、私の一介のブログでも見てくださってる方がいらっしゃるようで、エレカシさんの記事が多くアクセスされていました。誠にありがとうございます。)

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当日は夏本番のような蒸し暑さでしたが、よく晴れて気持ちのよい空でした。

誘ってくれた友人Yちゃんと共に1時間前くらいに向かうと、立ち見席を求めて長蛇の列、記念スタンプを求めてこれも長蛇の列。背中に兵庫と書かれた都道府県限定のTシャツに着替えた方たちもそこここにいらっしゃって、みなさん楽しみにしてるのがわかりました(^-^)

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初!エレカシライブ。

ライブというものには30年近く前に一度行ったきりの私は、ライブ自体も初めてみたいなもので、観客なのになぜか緊張して、席に着いて開演を待っている間に脳が酸欠になり若干気が遠くなりました笑

いざ、メンバーみなさんが出てきたと同時に観客の方々も立ち上がり、最後までほぼ立ったままの興奮するライブでした。

酸欠だった私は、演奏が始まるやいなや、呑み込まれるように渦に巻き込まれてしまい、具体的なことはほとんど忘れてしまいました。

しかし!

ところどころ覚えていることを順不同ですが書きます。どうぞよろしくお付き合いくださいませ。 ※演目は下記のサイトよりお借りし、最後に載せております。

 

⚫︎一番大きく感じたのは、この人たちはライブの人なんだ、ということでした。
「ファイティングマン」や「奴隷天国」「デーデ」、新曲「風と共に」、すべてライブで聴いてこその楽曲なんですね!
ものすごい迫力で、特にドラムがもう…良すぎて驚きました。「奴隷天国」「生命賛歌」の厚みといったら、音を浴びてる、と感じました。
音の厚みもすごいし、演奏が一曲一曲きちっとしてるから、そこにあの歌声を乗せると空間全体に、勝手にぶわぁっと広がっていくような感じを受けました。
あの声と演奏はセットなんですね~。

しっかりと作られた受け皿だからこそ、宮本さんがその上でさまざまな声や表現で遊べる、ということなんですね。CDで聴いていたのとライブではガラッと印象が変わりました。ライブ聴くべし!

そして、CDでは「ファイティングマン」のよさがあまりわからなかったのですが、生で聴いたらいいのがよくわかりました。
ほかにも、私はどちらかといえばテレビで流れるようなポップな売れ線の曲のよさがわからなくて「うーん…」となってしまうのですが、「奴隷天国」「デーデ」「やさしさ」「ハロー人生!」「生命賛歌」といった曲はライブでの演奏が素敵ですね!

数日前に、新曲の「風と共に」をラジオで一度聴きました。やさしい曲調だと感じたのですが、ライブで聴くとまた違う大きさや広がりを感じて断然よかったので、この曲は世に浸透したらいいのになぁと思いました。歌詞もいいですね。

 

⚫︎いつもCDかyoutubeでしか聴いていないのですが、生で聴く声はCDの声よりも高めに感じました。かん高いというわけでは勿論ありません。CDで聴くより一段ほど高くトーーーンと通る感じがしました。

しかし声の素晴らしさを痛感しました。財産ですよね。高く、太く、深く、強弱も自在に操って、魔法か!

(私はStingさんが好きなのですが、THE POLICEの時と今では声が全く違いますよね。ハスキーなのは変わらないけど今の方が深みや低音が増して美しいです。宮本さんもそんな感じがしました)

⚫︎宮本さんがお話になったことなど

ステージをうろうろしながら一生懸命話してくださってるのですが、やさしい口調なのですがどうしても漫談みたいで(失礼)、歌っている時とのギャップが激しすぎます。

  • 宮本氏が新曲について説明されていた時。NHKみんなのうた、いつやってるかは調べてもらったらわかると思うんで」みたいなことを仰っていた時、手元が思いっきり「雑誌をめくる」しぐさをしていて、帳面か!アナログ!と思いました。
  • 一度ドラムとのタイミングが合わなくて、曲が入りなおしになった時がありました。歌い終わって宮本氏は「アイコンタクトでいつも入るんですけど、僕がアイコンタクトを忘れまして。だから彼は悪くないんです。失礼しました」と仰っていました。(友人Yちゃんいわく「自分が悪かった、と折れるのは珍しい」現象とのことでした^o^)
  • 曲が終わるたびに、深く腰を折っておじぎされていて、その姿勢が自然に応援したくなるような感じで、ますますのご活躍を!と祈ってしまいました。
  • ジュンク堂がいっぱいある神戸!」私も本が好きでジュンク堂も好きなのでうれしくなります。
  • エレファントカシマシ、いろんなタイプの曲があると思うんで」本当ですね。私は「ガストロンジャー」「RAINBOW」が大好きですが、「笑顔の未来へ」といった曲との違いが大きくて、でも何を歌っても宮本さんの歌にするところ、といいますか、宮本さんの歌声あっての曲達なんだなぁと実感しました。
  • 第1部では、黒いジャケット、白いシャツ、黒ネクタイ。途中でジャケットとネクタイを脱ぎ、白シャツを出して歌う。第2部では黒いシャツに着替えて出てこられました。
  • 客席近くまで寄っていって、つぶやくように「幸せ・・・幸せ空間ですよね」と仰ったのには、人のよさが全開で、こちらもにこにこしてしまいました。

⚫︎友人Yちゃん談によりますと、今回宮本さんは曲の説明などいつもよりたくさん話してくれた、とのこと。曲自体も全体にゆっくりめの演奏で、いつもなら畳み掛けるように、間違ってもそのまま続けるくらいだけれど、今回は一曲一曲ゆっくりめだった、ということでした。

⚫︎ステージセットについて。

簡素と言っていいのか、ライトが数本あるだけで、スクリーンもなくシンプル。

けれど、曲ごとのライトでの演出がその曲にピタッとはまって、否応にも目が釘付けになりました。曲を盛り立て、時に観客席も照らす赤や真っ青の光。

終わりの頃、明るくなったステージに、このスクリーンが降りてきました。

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※ホームページよりお借りしました

シンプルに、言いたいことを言ってもらったような感じで、私はグッときました。  

 

そのほか・・・

⚫︎数席前に、70代と思しきご夫婦がいらして、初めから終わりまで立って見てらっしゃいました。年齢問わず惹きつける魅力があるんですね(^-^)

⚫︎席は一階、真ん中よりの通路側でした。私の前に、今からカクテルパーティですかといったようなミニドレスに8センチヒールの美魔女がいらして、通路に乗り出して踊っておられたので、残念ながら宮本さん・石森さん・ヒラマさんは見えませんでした。石森さんの弾く姿見たかったなぁ…。でも、成治さん・トミさん・村山さんはよく見えました。宮本さんの話す間、本当に不動の成治さんを見て「修行か」と思いました笑

⚫︎トミさんコールが多くて、さすが人気だなぁと思いましたが、最後、ステージ前に出てきた時のはにかんだような笑顔が素敵で、人気なのもわかる!

終わりには、みなさんで並んで肩を組んで大きくお辞儀され、その様子が楽しそうでしたし、観客の方々の惜しみない拍手があったかくて、気持ちのよいコンサートだなぁとすごく感じました。あんな激しいパフォーマンスなのに、最後のこのさわやかさは何なんでしょう。

 ⚫︎最後に・・・

第1部では曲が作られた背景などを丁寧にお話になっていましたが、第2部では次から次へと演奏が続き、めまいのするような音の坩堝へ。

一曲一曲が楽しめて、なおかつお話も聞けて、会場全体はやさしくなごやかな空間で、宮本さんの仰る「幸せ空間」でした(^-^)

 

以上です(^-^) すごく楽しかったです〜!エレカシさん、Yちゃん、ありがとう〜!

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

※こちらのサイトより、セットリストをお借りしました。ありがとうございます。

http://ekdb.xrea.jp/sl.php?a=20170702

2017/07/02(日)  神戸国際会館

こくさいホール セットリスト

 〈第1部〉
01.歴史
02.今はここが真ん中さ!
03.新しい季節へキミと
04.ハロー人生!!
05.デーデ
06.悲しみの果て
07.今宵の月のように
08.戦う男
09.風に吹かれて
10.翳りゆく部屋
11.桜の花、舞い上がる道を
12.笑顔の未来へ
13.ハナウタ~遠い昔からの物語~
14.3210
15.RAINBOW
16.ガストロンジャー
17.やさしさ
18.四月の風
19.俺たちの明日
20.風と共に
 〈第2部〉
21.ズレてる方がいい
22.奴隷天国
23.Ladies and Gentlemen
24.コール アンド レスポンス
25.生命賛歌
26.TEKUMAKUMAYAKON
27.夢を追う旅人
28.ファイティングマン
 〈アンコール〉
29.so many people

 

さっそくiPodのプレイリストを演目順で作りました!

感じやすい方におすすめの本

こんにちは。今日は本の話です。

 

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『「普通がいい」という病』泉谷閑示(講談社現代新書

“病”だなんてちょっとものものしいタイトルですね。精神科医の書いた本だといえば、よりものものしく感じられるかもしれませんね。(帯にも「注意:人生を変えたくない人は読まないでください」という煽り文句が)

ですが内容は、世界の詩や戯曲などを引用した、平易な文体で読みやすく書かれてあります。そして、現代日本で少数派と認識されている「生きづらさ」を持っている方なら、視点を変える助けになるのではないかと思います。少なくとも私には大きな助けとなっています。

引用したいところがたくさんあってしきれないのでおすすめとしてご紹介するのですが、悩まれているなら一度読んでほしいと強く思います。

私が考えるきっかけとなったことを列挙すると、

  • 「普通」という言葉の手垢を落とすこと
  • インスタントな解決には意味がない(癒しなど)
  • 自他の区別
  • 頭と心(身体)の違い、二元論
  • 深い感情の出てくる順番鮮度、感情のフタ

そして後半に書かれている下記の内容は、HSPや感受性の高い方にも頷けるものだと思います。

  • 親子でも生まれ持ったものさしが違う
  • 「敏感で太い」自分へ
  • マイノリティの小径を行く
  • 螺旋状の成長を目指すこと

この最後の「螺旋状の成長を目指すこと」というのが、私が挑戦していることです。

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A→Bへと一方通行の成長から、一段上へあがって、Cへいく。

上から見ればAとCは同じ場所にいるように見えますが、横から見れば一段上がっているのです。

どうすればいいのか? 少し長くなりますが引用します。

たとえば「神経質だ」と言われている人が、その性質をがんばって減らそうとするけれどもうまくいかない。そもそも鈍感→繊細という一方通行ですから、逆行は出来ない。つまり、感じていることを感じないようにすることはできない。無理にやれば、離人症になってしまいます。この場合には、神経質さにどんどん磨きをかけて突き進めばよい。神経質の極みに達したとき、ポンと抜けることになる。これがC点です。この場合C点では、さまざまなことを敏感にキャッチしているけれども、それに振り回されずにどっしりとしていられる状態になり、傍から見れば実にシンプルで神経質のかけらも見えない姿になります。そこでは、相反する性質が両立するのです。

人間は、こういう風に変化・成熟していくものなのではないかと思います。

(p.180-181, 下線は引用者による)

私でいえば「HSP」という性質について、いやだいやだと逃げていた時は余計に過敏に反応していましたが、いったんその性質を「引き受ける覚悟を決めた」時から、徐々にフォーカスしなくなりつつあります。自分の中に取り込んだ感覚です。

具体的には、「神経質だな~私。でもそれでもいいや」「音を気にするな~私。でもそれでもいいや、気になるんだから」と何度も自分を許して認めていったことです。

反対意見がアタマのあちらから聞こえます。でもそれも私。「これじゃだめだって思うよね、でもだめでもいいんだ、私。そこからスタートだから。」

そうしていると余力が出てきます。そして「どれくらい気になるんだろう?どれくらい神経質なのか、自分で測ってみよう」と思える元気が内から湧いてきました。

私を私として受け止めきったら、周りのことは気にならなくなってきました。ものの見方が変わったのです。まだまだ挑戦中ですが。

ただ、自分を認める、といってもそれがただの“甘やかし”で止まってしまうのはいやだったので、そこからどうしたい?どんな風になれたら自分をいい奴やん、と思える?笑顔でいられる? といったことは意識しています。

ああだこうだと愚痴ったり文句を言うだけなら、一度覚悟を決めてやってみたらいいと思います、失敗したってスタート地点に戻るだけですから。(それでもああだこうだとできない理由を探すのなら、それはその状態を自分が望んでいるというだけのことです。)

俗に言うポジティブシンキング、というやり方ではまったく変わらなかったのですが、それは方法が違っていたのでしょう。

 

自分はまだ変えていける、と知った時、楽しい!生きてる!って思いました。

いまだ自分に自信なんてものはありません。でも、自信なんてなくていい、と思います。なんにもできなくても私。私は私を生きるしかないから、私を引き受けることを私が決めることなんだと思っています。

生きてるうちは生きるんだ、ファイトだ~!

ぞっとしたこと(2年前のできごと)

こんにちは。今日はHSPについての話です。

2年前に起こった、本当とは思いたくない話です。以前のブログサイトではとても書けなかった。

このできごとがブログを始める(文章にして可視化する)きっかけとなりました。相変わらず長いんですが、よろしくお付き合いください。

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初夏、初めて主人と「うさぎカフェ」なるものに行き、そこで遭ったことです。

近場に「うさぎカフェ」なんてあるのか、と何の気なしに訪れました。低層ビルの2階にある店。階段横の集合ポストがごみで溢れ、そのあたりが汚いのが目につき、「いやだな、いやな感じがするな」と思いながらも店に入りました。

そこはマンションの一室をうさぎと遊べるようにしてあるところでした。室内は静かで、ほかに数組の客がいたようです。

今回の主人公は、受付の男です。

男はこちらを見もせず、システムの案内もせず、ただ目の前のパソコンとお話状態でした。入口で立ったままどうすればいいか聞いても要を得ない応答で、なんか変だと感じました。それでもこちらも気を使い、コミュニケーションを取ろうと話しかけたのですが、どうぞといった一言もなく、ただこちらの質問に答えるのみ。

一瞬もう帰ろう、と思ったのですが、まぁこんな無愛想な店員はいるもんだし、初めてのうさぎカフェで主人も楽しみにしていたし、うさぎも見てみたい、といった「欲」が働きました。料金を払う際にもこちらを見もしない男はもういいや、と奥へ。

それが間違いでした。

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なんだろうこの急な腹立たしさは?

対応の悪いこの男にかなりの「怒り」を覚えるものの、これくらいの店員はどこにでもいるし、ただ愛想がないだけなら別になんとも思わないのに、なぜ急に、この男に対しては心臓が暴れるくらい、頭から熱が出るくらいの腹立ちが起こるのか。

なぜ? 理由もなく怒るわけはない。

 

結局30分もおらずに店を出ました。

その時点では、男の店員の気味悪さへの怒りで少々興奮気味で車に向かっていたのですが、聞けば主人も同じ感覚を抱いていることがわかりました。(主人は怒ってはいませんでしたが)

私はこれほど急激で、これほど強烈な怒りの感情を持ったことがあまりなく、そしてその怒りの裏には疑問が大きくふくらんでいたので、ふたりで車で移動しながら話し続けました。

 

あの男って人間ではなかったよね。

私が感じたのはこれでした。男の見た目は特に変わったところもなく、その辺にいる斜に構えた20代後半といった感じです。

ただ、目に見えない世界があると仮定して、あの男は異界のモノだと感じました。宇宙人、何かに憑かれて中身がなくなってしまった人間の抜け殻、そのように感じました。(楳図さんの漫画『神の左手悪魔の右手』に出てくる「影亡者」だと思いました。)人間ではない、というのは、話がまったく通じない対象としての表現です。

 

ちょっとわかりづらいですよね。ウソでしょう、と思われることを覚悟で書いています。もともと私は霊感はありませんし、今までこういった系統の恐怖は身に覚えがありません。だから、目に見えない世界はきっとあるだろうけれども、自分では感じないので知らんふりができています。

 

主人と話すうちに、どういった状況、どういった感覚だったのかを整理していきました。

主人が比喩的に表現したのは、その男が、店に入ってきた私たちを、まるでクモが獲物を待ち構えていたようにひゅっと触手を伸ばしてきて、それに瞬間捕らわれた。ということでした。

 

私は見えないし感じないしイメージも湧きづらい方ですが、その感じは理解できました。私自身はその時「急激な強い怒り」を持ったことで、心のシャッターをすぐに下ろし、こいつの言うことは聞かないと無意識にガードしたようです。

ただいかんせんこういった場には不慣れです。自分の強い怒りの感情にどう対応したらいいかわからず、とりあえず離れることしか思い浮かばなかった。

それに、入口の真正面に立った主人の方が矢面に立ってしまい、私は補足くらいの位置づけだったのか、そこまで「やられる」被害は薄く済んだのだと思います。

割合そうしたことに慣れている主人でも、一瞬のことで巻き込まれそうになったようです。(主人はHSP/HSS/エンパスです)

 

店内には、女子アルバイトさんがいました。彼女も異様でした。男の異様さとはまったく違う、生気がなく、哀しみや淋しさや弱さだけでふらふらと生きているように見えました。

ただの印象ですが、どうしてもあの男と接する時間が長いから、人間の成分を吸い尽くされてしまったのかな、と感じました。人間世界では生きていけない感じ。だから動物を相手にした仕事でないと精神がもたない、そんな感じまで受けました。

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その年の3月頃からHSPを知り、自分なりに調べて気持ちが落ち着いてきたころでした。

自分の気持ちを優先し大切に扱うこと、感情と行動を分けて捉えること、人知を超えた存在や世界があるということ、エナジーバンパイアという存在があるということ、

HSPに関わるそうしたことを知ったことで試練的なものに出遭ったのか。

今までの私だったら、訳もわからず「やられて」しまい、不機嫌になり、自分を持て余し、勝手に作り上げた問題に取り込まれていたと思います。今回は自分でも驚くくらい冷静に出来事を捉えることができました。

ものすごくたくさん学んだと思います。

  • まず、「欲」にとらわれると足をすくわれるんだと実感。今回は、うさぎを見てみたい、主人に楽しんでほしい、ひとり1時間1600円という高い値段、といったものにとらわれて、自分の感情を大事にしなかった。店に入る前にいやな予感がし、そして店に入った瞬間にそれがあたった、と思ったのに、それを後回しにした。気分の悪いままその場にいても、決して気分は好転しない。それは確実。だからすぐさま離れるべきだった。
  • 今回は、明らかな敵がいた。自分の感情といった目に見えない敵と争う必要はなかった。あの男という実体があったので、自分とは分けて、整理して捉えることができた。
  • 自分の感情を大切にすることがどういうことか、少し、解ったような気がする。それは自己中心的なものではない。俗に言う「わがまま」ではない。もっとフラットに、冷静に、平静に、自分を認めることだ。

 

今まで他人優先だった私には、考えを変えることはまだまだスムーズにいかない。私の気持ちなんて後回しでいい、と自動思考してしまう。

場所を移し、納得いくまでよく話したことで、完全ではないものの整理することができた。主人と一緒にこの問題を話すことができて、心底安心した。でもとても疲れた一日だった。

・・・当時のメモにそう結んでいます。

 

このことがあってからです。自分の直感を信じること、優先することを決めたのは。

HSPだから感じたのかどうかはどうでもいい。

しかしHSPの性質が「危機察知能力」として役立つなら、それを活かす。

それで、どこかへ行った時(特に初めて行くところ)、その場に立ってなんらかの違和感や空気のよどみ、みたいなものを感じたら、それが飲食店で席に通されたとしても帰ります。(我慢できそうならそうしますが)

肌や皮膚の感覚(ぞわっとする、とか)、まわりの空気の感触、といったものは見えないし言葉にもできませんが、たしかに感じるならそれは自分にとって大事ですね。

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ももう、あんな強烈な感情の動きは二度と感じたくないです。。

HSPのみなさんのなんらかの参考になれば、とようやく書く気になりました。わかりづらいようでしたら補足しますので、お知らせくださいね。

長々とお読みいただいてありがとうございます! 

 

『MUSICA』インタビューの感想

こんにちは。今日は言葉についてです。

今回は、私をエレカシファンにさせてくれた友人Yちゃんにお手紙を書くようなつもりで書きます。

 

エレファントカシマシ 宮本さんのインタビューを読んで

エレカシにわかファンの私でございますが、このはてなブログにお引越ししてきてよかったなぁ〜と思ったのが、エレカシ大ファンの方々のブログを読者登録できたことです。今までは検索してブックマークして、でしたが、自分のページからすぐに見に行けるのですホホホ(^.^) 

はてなブログでは書くことが上手な方が多くいらっしゃる印象がありましたが、あらためてそう感じます。私もあやかりたいです(^-^)

 

そんな先達の方々のブログにて、たくさんの情報をいただいているのですが、その中でご紹介のあった音楽雑誌『MUSICA』を買ったわけです、なにせ堂々のにわかファンですから!

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巻頭特集です。(「ムジカ」 2017年7月号)

(ところでスピッツも30周年なんですよね、しかし以前買った「ROCKIN'ON JAPAN」でもエレカシさんの影に隠れるような感じで。。泣)

 

私はエレカシの今までの歴史を知りません。どのような紆余曲折を経て、今を迎えているのか、その重みを知りません。昔からのファンの方々のように、苦しい時も一緒に乗り越えてきた、ということもありません。ですので、その方々からすれば、浅い感想しか持てないかもしれません。(先に言い訳してますが。。)

しかし、今50歳を超えた宮本さんの言葉をじっくり味わうことはできます。この年齢だから言えることもあるだろうし、私も45になったことでもあるし、心情的にはエレカシメンバー(の年齢)に近くありたい、と思います。(若いから魅力がある、のは一面的だと常に思う。歳を経た魅力の方が深みがあって私は好きなのです)

 

今回の30周年記念ライブ2ヶ所のレポートと、新曲やライブについてのインタビューが載っていました。

こうした記事の常なのか、煽るような文言が目立ちますがそれは特性上しょうがないですね、しかしそれを取っ払ってみても、今回のライブツアーは今までの集大成たるもののようですね。ここまで積み重ねてこられた皆々様に頭が下がります。

 

インタビューの感想を書く前に、曲について私が思うことを書きます。音楽にまったく詳しくない私が言うのもおこがましいことですが、エレカシの曲はずっと聴ける、本質的なものを歌っていますね。

宮本さんもインタビューで「歌詞の内容がある種、普遍的なものだから」「普遍的なことを歌うのが好きなんでしょうねぇ」と言っていますが、流行り廃りのある曲・歌詞ではない。それは反面、大流行歌、とはならない、ということも意味しているように思います。耳触りのよい、街でたくさん流れている曲ではない。ただ、聴けばその人だけのものとなってずっと心にいてくれるのですね。

普遍的内容であると同時に、曲や歌詞の「メッセージ性」は確かにあるものの、その曲の解釈は聴いた人それぞれで持つことができる「余白」のようなものがあるのかなぁと思いました。

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インタビューを読んで。 

◇ 個人から全体に

宮本さんだけでなく関わるみなさんの意識や行動が「個人から全体に」移行しているように感じました。自分本位とまではいかないけれど、一つのバンドでの世界観から、ファンの方々はもとより自分たちのさらなる可能性を含めた大きな世界観を、今持ちつつあるのだなぁと。

それは、一歩一歩着実に、理想高く、自身の責任感をもって重ねてきたことが花開いたことなのでしょうけれど、ご本人はまだ戸惑っているように見えました。

「歌を大事にする、歌がしっかり響く、歌が主人公である」「曲を主役にしたコンサートを意識的に」しているという今回のライブを経て、今後も新しいエレカシを開拓していかれるのかなぁと感じます。大器晩成でドーンと行ってほしい!

 

◇「わからない」の連呼

人が何を言っているのかわからない、と「わからない」を連発されてます。

その「わからない」がわからない(笑)のですが、思いますに、宮本さんの頭の中には数限りない言葉や選択肢があって、あらゆる角度から高速で検討するのですが、あちらを立てればこちらが立たず、というように、一つどれを選んでも禍根が残る。それがいやだからぴたりとはまる言葉を探して長考し、たくさんの言葉を紡ぎだすのではないかと。

どれをとってもいいし、どれをとらなくてもいい。だから結局はどれでもOKなんだ、と言っているように感じました。

「僕はまったく空気を読まないタイプだと思うんですけど」と言っていますが、表面上の場の空気を読もうとして結局つかめない、ということでもあるんだろうと感じます。こうしてその場で表面上はしゃべっているけれど、心はここにはいないのではないでしょうか。もしくは読めたとしても自分のスタンスは変えない。でもそれでいいし、それがいいですよね。

空気を読むだの読まないだので会話とか関係性とか、それだけで人は量れるものではないですよね。読み過ぎて空回りしたり、読もうとしても読めない、それはそれでいいと思います。読めてると思ってる人だって、ある面では読めてない。そうした細かいことにこだわる人の方が読めてないな、って思います。

「わからない」のは「わかる」よりよっぽどいいと思います。それはこれからも成長や進歩の余地があるということだから。わかったふりして現状維持、なんて、訳のわからない大人のすることです。

とにかく素直! まっすぐ! 真面目! という印象です。

真面目だから自由に憧れるし、理想を高く持つから今も戦い続けている。世俗的なものも大切だけど、そこから離れたいという気持ちもあって、それで歌詞によく出てくる「」に思いを託すのかなぁと感じます。 

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長々と偉そうにすみません。。

エレカシはメジャーですし結構ないい年齢なのに、なんだかいまだにぎこちないみずみずしさみたいなものを感じるのですが、曲を聴いていると頷けるといいますか、すれてないなぁと感じます。現状に満足しない。まだ高くまでのぼるんだ、というような。

 

雑誌には写真もたくさん載っていて、宮本さんはいつものごとく素敵なんですが、石森さんのさらさらヘアには憧れるし、高緑さんの渋さやはにかみの表情が微笑ましいし、トミさんの飾らない感じがもうかっこいいなぁと感じました。(ミーハーですみません)

 

以上、一介のにわかファンの戯言ではございますが、熱意を持ってこれからも応援したいと思っています!(Yちゃん、これからもよろしくです!)

 

感受性のことを歌う

こんにちは。今日は音楽の話です。

 

一時、椎名林檎ちゃんがすごく好きでした。30代前半くらいからです。

いい歌いっぱいありますね。あの華やかでエキセントリックな、常に舞台に上がって勝負してるような感じがものすごくプロだなぁと思わせられます。

細部にまで神経を張り巡らせた“椎名林檎”的世界観。聴く方も覚悟がいります。

林檎ちゃんの歌は「常に張り詰めてる」ように感じます。歌詞もメロディも。こちらをヒリヒリしたような気持ちにさせるのが巧いですね。

たくさんのヒット曲があってそれももちろんいいけれど、アルバムの中のほかの多くの曲も作り込みが巧みです。

 

私はズバリ恋愛のことを書いている歌詞が苦手です。(恋愛を描いているようで本当に言いたかったことは違う、という歌もありますが)

恋愛は人間関係の縮図で、個別のことを言いながら実は普遍的なことを言ってる、というのはわかりますが、歌詞の中に好きだの恋だのが入ると興ざめしてしまいます。エキスくらいにしておくれよ。

下の曲は恋愛ものではありません。「感受性」についての歌詞、としてすぐに浮かぶ一部分をご紹介します。

(「虚言症」より)

そして何故に 雨や人波にも

傷つくのかしらね

10代の頃に作ったというこの曲は、10代らしくみずみずしく、たどたどしい感じもあって、でも強く生きる気持ちが素直に出てると感じます。私が聴いたのは30代でしたけれど、歌詞のこの部分にとても共感しました。

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感受性が豊かで傷つきやすい人は、心が10代くらいなんだろう、と思います。世間に慣れてしまえなくて、傷を受けても手当ても知らずそのままむき出しにしていて。

それはもうしんどいでしょう。まわりが気づかない微かなことにも気づいてしまう心は、ほんの小さなすり傷だって大きな傷と変わらない。

出てきた言葉や、目に見える表情や態度だけでなくて、発散される空気や波動、匂いや音、それらをかわせず総身で受けてしまう。

 

小さな自分を守るために、身の回りにどんどん鎧をつけていって、その重みで小さな自分が苦しくなってる。

もしくは、小さな自分は置いてきぼりで、頭でできた自分がでしゃばり前に出ている。ほんとの自分はどこでしょう?

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心のなかにきれいな泉があって、いつでも豊かに水をたたえている。

緑深い森の中みたいに、もの言わぬたくさんの世界を内包している。

人波にも傷ついてしまう人の内的世界は、こんな風に静かで優しく、とても気持ちのいいところだろうと思います。できることなら、私はそんな人になりたい。

 

徒に疑ってみたりしないで 大丈夫

いま君が孤りで生きてるなんて云えるの

君は常に 常にギリギリで生きる

あたしは何時も君を想ってるのに

 (「虚言症」より)