ことりのように

旦那さんと文鳥とオカメインコと暮らしています。日々のこと、思うこと。ことりのように自由にはばたいていきたいです

秋風が吹いたから

こんばんは。

前回の記事から引き続き、今もあんまり調子はよくないです。自分ではその期間が長いな〜と感じていますが、カレンダーを見るとそうでもなかったりしますね。

身体と頭の感覚が分離しています。原因探しをしてもしょうがないんですけど、あえて言えば、秋風が吹いたから、かなぁ?(なんじゃそりゃ)

今までの熱気が薄れ、身体が暑さにうんざりすることがなくなった。それで、身体が動きやすく軽くなったのはいいけれど、今度は乾燥や風が吹くことで知らずに冷えるようになった。

光の強さも変わったし、日も短くなってきている。季節や天候の影響ってやっぱり大きい。

目に見えるもの・聞こえるもの・肌に触れるもの・食べるものが「秋」へと大きく変わると、気持ちは内へ向かうようになりますね。冬支度ですね。

 

でも秋も冬も大好きな季節。ようやくやってきたか!と毎年思います。今年の秋冬はどんな風に楽しもうかなぁと思い巡らせます。

暖かい色の小物やカバー類が欲しくなったり、温かい飲み物のレパートリーを増やそうと考えたり、こまごまと料理をしたりしていると穏やかな気持ちになってきます。

夜に公園で星空を見たり、秋の空を見上げて散歩することも楽しみだけど、家にいる時間を長くして、それを優しいものにしたいといつも思う。

私の秋は、より内向的で静かで、それは今までの私のままで、非常に懐かしく居心地がよい。

外に発散していた自分をぐいっと中へ引き戻されているような感じがする。この半年は、今までの意識の向きをガラリと変えた。なのに、今になって反動だか何だかでまた元に戻ってしまうの? ものの捉え方や考え方を確かに変えた、と実感するようなこともあったのに、また同じことの繰り返しに戻ってしまうの?

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最近はずっと、知らないことを身の内に入れて、どんどん入れて、入れすぎて消化不良を起こしてたみたいです。(実際に、お腹が張ったり食欲もないです)
身体と感情とを第一に、気になったことや興味を持ったことに邁進していたら、いつのまにか置き去りになった頭が「私の言うことも聞いてよ!」と言い出した感じ。
いつも静かで内向きで、あまり動いたりするの、好きじゃなかったでしょ?! なんでそんな急に活動的になるの!、なんて言ってるみたい。

季節による体感が大きく変わったことで、まだ身体も頭もついていけてないようです。感情の波立つ過剰な夏は、自分を鼓舞して一気に進むことをよしとしていたけれど。

たくさんのことに影響を受けて、受け止めてきたから、今度は自分の内で熟成させていけたらな。

今からはしばらく淡々と身の回りのことをする。派手でも華やかでもなくていいから、静かで柔らかいものを探して気持ちを和ませよう。そんなふうに思いました。

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秋になってピヨスケくんはますます血気盛んです。

無題

こんばんは。

久しぶりのお花。このピンクの花は、草のような匂いがします。名前は相変わらず覚えていません。

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でもきれいだな。

涼しくなったから、また花を買える。秋の花もあちこちに咲きはじめましたね。

おとといあたりに、ようやく「秋になった」と感じました。自分の体感ってあるものですね。

そのあと急に冷たい風が強く吹き、昨夜は寒いくらいでした。

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なんにもしたくない気分で、なんにもせず、こんなんじゃダメだという自分の声に負けそうになりながら、今日はなんとかのりきる。

考えることは追いやって、冷えた身体を温めて、いつもは読まない楽しむためだけの本を読む。

身体は温まらず、本も進まず、笑顔も出なくなって、いつまでもぼんやりする。

食べたいものもない、飲みたいものもない。

感覚も鈍り、ただ目が開いている。

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どこにも行けないような気がして、迷い込んでそのまま沈むような気分。そんな日もあるさ。

息をして、内臓も手足も動いてくれて、それだけでも感謝だ。それだけでもいいんだ。そうして、立ち上がって、上を向く日を待つ。

笑いの手相

こんにちは。

昨日の大雨が過ぎて、今日は気持ちよく晴れています。

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自分の手相って意識して見たことありますか?

この夏、手相講座にニ度ほど出かけました。意識を向けて日々観察していると、変化していることを発見できます。

変わった!とわかったからといって、じゃあどんな状態なのか?は調べなきゃわからないんですけどね(笑)

講座の先生いわく、手相は毎日変わります、とのこと。おもしろいですね〜。

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私でも一度で覚えた手相があります。

画像の真ん中にあるのが「感情線」です。この線のはじまり(右側面)あたりに、さかなの骨みたいな細かい線がたくさん出ているのがわかりますか?

これは「お笑い線」だそうです(笑)

堀向勇希さんの手相講座に参加した時、「西に行くほど多い」とのことで、さらに10名ほどの参加者のほとんどの方がこの手相を持っていました。(会場は大阪で、みなさん西日本から来られた方々でした。)

土地柄との相関性があり過ぎて納得するしかなかったです。私は両手にあるので、公私ともにお笑いを大事にしてるようです(笑)

 

それぞれの講座の先生のブログをご紹介します(^-^)

*堀向勇希さんのブログ↓

https://ameblo.jp/ypa-net/entry-12075451833.html?frm=theme 

*手相読み ひふみさんのブログ↓

https://ameblo.jp/happy-maker123/entry-12308418368.html

 

ということで、今日も私は笑ってます。

もし、制限がなく

こんにちは。

購読しているメルマガに「もしなんの制限もなくて夢が叶うとしたら、どうなりたいですか?」とありました。

どうなりたいだろう?

 

先日お会いしたNちゃんに同じように、「なんでもできるとしたら、なにをしたい?」と聞かれました。

とっさに「勉強したい(知りたい)」と答えました。知らないことをもっと知りたい。…その時は、勉強を始めた時だったから余計にそう思ったのだけど、知識を得たい、ということだけではないなぁ。

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自分のことも、近しい人のことも知りたい。

自分が、何をどう捉えてどういう風に感じ考えるのか。人が、何をどう捉えてどういう風に感じ考えるのか。

自分のことはよくわからない。けれど、人の話をじっと聞いていると、自分にとっての気づきになることはたくさんある。それは内容だけではなくて、発する声の調子や強さ、表情や動き、空気みたいなもの、からも気づきを得る。

人のその動きや、揺らいだり迷う姿を見たり感じることは、心のとても柔らかいきらめいた部分を見ているようだ。

そしてとても温かい気持ちになる。一生懸命だ、がんばってるんだよねぇ、って笑って励ましたくなる。その姿は私のちからにもなる。

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ほんの少しのやりとりであっても、私に向けて放ってくれた言葉は、私の気づきになっている。表情や動きも同じ。

私はすぐにキャパオーバーになるので、わからなくて受け止められていないことはたくさんある。でもその場やその空気の感じはぼんやりと受けている。今は受け止めきれなくてもいつかわかるかもしれない。それまでだいじにしまっておく。

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もし制限がなく、なんでもできるとしたら、なにがしたい?

なにがしたい、というよりは、どんなふうでいたい、という方が近いかなぁ。

自分や人をもっと知っていけたら、お互いに居心地よくいられると思うんだなぁ。(私はイレギュラーに弱いので、さまざまなパターンを知っておくことで安心する。だから知りたいって思うのかもしれないな。対応しきれなくて慌てることのないように、準備しておきたいんだな。)

自分の性質を知っていくことは限りがない。昨日と今日では気持ちや考えも変わってるかもしれないし、次々あらわれる自分を知っていくことは自分の発見。一生一緒にいるんだし、制限を設けずにいいところをもっと探してあげよう。

そして、穏やかに、心をほどいたような笑顔で、気分よくいられたらいいなぁ。それがいちばんなりたい姿なのかもしれない。

蚊に…

こんばんは。

油断して茂みの近くに行くとまだ蚊に刺されますが、いかがお過ごしでしょうか。急に涼しくなって、身体は助かっております。

さて「蚊に刺される」と通常言いますが、みなさんはいかがですか。

うち(実家)では「咬まれる」と言っていました。(ちなみに両親は愛媛出身です)

そしたら宅配便漫画ブログのゆきたさんがお住いの名古屋では、「くわれる」と言うことが判明…!

「食われる」って…! 強そう…!

https://ameblo.jp/yukitanoyonkoma

(ゴゴゴゴ…)

ゆきたさんの漫画、面白いですよ!

なんでヒョウ柄やねん

こんにちは。今日はツッコミたい!と思ったできごとです。

先日、大阪の繁華街へ出掛けました。その帰りに乗った電車のドアが。

ばばーん。

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ヒョウ柄でした。

連結部の扉も。

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ばばーん。

この電車はたしかに動物園に行く路線だし…って、だからってヒョウだけ“ ひいき ”ってのはあかんやろ〜。(論点はそこじゃない?)

もうこれは「大阪」だから、と納得するしかなかったのでした。あ〜あ。

ではなぜペンギンが…?

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ばばーん。

「言葉」の危うさ/「言葉」での共有

こんにちは。今日は「言葉」についてです。

 

先日オススメした穂村 弘氏のエッセイにこんな文章がありました。

 それが善意や励ましの気持ちからであっても、誰かの心に「言葉」を贈るのはこわいことだと改めて感じた。音楽や絵画と違って、「言葉」は意味から自由になることができない。それを見たり聞いたりした者の心には必ず「意味」の解釈が入り込む。そこに致命的なズレが生じる可能性があるのだ。

…「お見舞いの失敗」/『鳥肌が』(穂村 弘)より引用

友人Aさんが重い病に倒れ、周りの人たちも心配しているなか、Aさんと仲のよいBさんがお見舞いに行ったそうです。

そこでBさんはお見舞いの品として「絵本」を持って行きました。

「毎日の何気ない時間と小さな出来事の一つ一つがかけがえのない宝物、みたいな内容だったの」

 (中略)

それは、と私は思った。確かに一歩間違えると危ういところがある。

 (中略)

「その『宝物』をいま私が失おうとしているのに、って云われちゃったの」
(…引用 : 同上)

…とてもこわいことです。

なんとか元気づけようと心を砕いたとしても、今できる精一杯の愛情から出た行動だったとしても、送り手と受け手のとらえ方がズレると、こんな風に決定的な結果になってしまう。

 

私は「言葉」は不自由だと感じています。「言葉」で表せることなんて、ほんのちょっぴりしかない、と思っています。前述の穂村氏のエッセイのとおり「意味から自由になることができない」からです。表出しない意識の世界は膨大で、あえて「言葉」にして出さなくてもいいものだ、とも思います。

でも、なんとかして「言葉」で表してみたい、とも思うのです。意味がつけられ限定したものになってしまう言葉ですが、言い方を変えたり、比喩を用いたり、飛躍した使い方をしたり、なんらかの形で、伝えたいことを表してみたい。

送り手と受け手には、ズレはあるもの。それはわかったうえで、そのズレを通り越して共感できたとしたら、「通じる」ことの喜びを感じることができるのじゃないか。輝くような高揚を感じられるのじゃないか。

届いた、通じた = 共有ですよね。同じものを同じ意味合いで、もしくは意味も何もとっぱらって、「一緒に」見ること感じることができた、ということですね。

それを喜びととらえている私は、ひとり、ふたり、みんなと一緒に、喜びを共有したいと思ってるんだなぁ。そんな一瞬を、追い求めていきたいと思ってるんだなぁ。

みんなと一緒に楽しく過ごすことが自分をあっためてくれる、と気づきました。そんな自分があったなんて知らなかったなぁ。

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9月になりました。新しい月のはじまりです。日々いろんなことがあるけれど、楽しみを自らつくっていこう。

漢方養生指導士・中級講座の勉強も始めました^^