ことりのように

旦那さんと文鳥とオカメインコと暮らしています。日々のこと、思うこと。ことりのように自由にはばたいていきたいです

“ 魚座 ”しいたけさんの占い

こんにちは。

しいたけさんのブログ、おもしろいですよね。

私は魚座でして「今年下半期の振り返り」を読んでいましたら、ウンウンそうそうと頷くこと多し。

いつも占いを読んでて「魚座」の性格とか当たってないよなーと思ってるのにこんな時だけおかしいかもですけど、

生き方(宿命的に、そうぜざるを得ない)がこういう傾向が強い、という意味で捉えれば、今回の「魚座を振り返って後編  〜しいたけ占い2017年下半期〜」は今年まさにそうだなと思うのと、こういうとこ無視してきたけどあるかもな、と思うことが多かったです。

https://ameblo.jp/shiitake-uranai-desuyo/entry-12302329775.html

 「私が知らない私に出会いたい」

それが潜在的に強く持っている魚座の執念であり、夢です。

だから魚座の人って「今までの自分」を褒められたとしてもポカーンとすることがあります。
だってそれは過去であり「私が知ってる私」だから。

魚座が「ちょっとわけのわからないこと」に興味を持って首をつっこむのは「私の知ってる私」を壊したいから。

そして、魚座ってできれば守るより、壊していった方が良い人たちです。

  「うお座を振り返って後篇 2017年しいたけ占い下半期」より

心強い言葉だなぁ。

だれだってそうかもしれないけど、「以前こう言ってた」みたいに人から言われると「だから?」ってずーっと思ってました。「私はもうそこにはいないんだけど」と反発心めいたものも湧いていました。変化するのが人間だろう、と思っているから。

*** 

2017年に入って、「変わる」ことに意識的になった、と以前書きました。それは今も続いていて、今年は自分をやりきりたい、という思いがあります。

自分のいい部分もキライな部分もよくわかってない部分も、ぜんぶ自分だという責任をもって、今までの自分なら選ばなかった行動や考えを試してみよう、という意識です。

ひるんだり、立ち止まったりしまくってます。でも進むんだ。

そして、この2017年の下半期にあなたに起こる衝動は、

「もうここまでの自分は終わり。変身して次のレベルに行かなきゃ」

  「しいたけ占い 2017年下半期」より

今までの私は、占いはしょせん占い、なんて言いつつちょっと気にしたりする「フツー」の人間でした。裏を返せば、信じたいのに占いなんて信じてる自分はカッコ悪い、みたいに斜に構えてました。

でも今年はそれをやめました。だれの目を気にしてカッコつけているのか。自分か。

自分の感性が喜んだような気がした時や、発見だ!と思った時は、全面的に信じてみることにしたのです。

自分をほめる「ほめ日記」も、日記としては続いていないけど、手塚千砂子さんのブログを読むと、明るい言葉がいつも書かれています。それを目にするだけでも「今日も笑っていこう」と素直に思えてくるようになります。

ほかにも勇気づけてもらっているものはたくさんあります。以前なら本を読んで得ていたことも、今はありがたくもネットがあるので情報を得ることは簡単になりました。ただ、それを心にとどめておけるかどうかは、やっぱり自分次第ですけれどね。

ただポジティブシンキングせよ、というだけなら今まで通り何にも進んでなかったと思う。いったん自分の失望するところ、見たくなかったところ、これらに向き合いたい、と決意して、その上で自分を励ましてくれる言葉に近づくようにした。なんでもかんでも入れない。自分が楽しめる、成長できるものだけを見る。

そしてそれらをぜんぶ信じることにした。言葉も、人も。

もうここまでの自分は終わり。変身して次のレベルに行かなきゃ。

行けるんだ、私。ものすごく楽しそうで苦しそう。でもできるんだ。新しい自分を見つけられる、と思うとわぁっと叫びたくなるくらい嬉しくなる。

今年を悔いなくがんばろう。

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あ、そうそう、漢方の試験合格しました(^^) 

 

夜の神戸の海際で

こんにちは。先日思い立って夕方から神戸に向かいました。

夏休みなので夜になっても人がいっぱい。ハーバーランドの突堤にもくつろぐ人がいっぱいでした。

ウッドデッキ状になっている岸壁沿いの遊歩道に、こんなライトがありましたよ。

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千鳥の重ね模様がかわいいですね。

柵についている影絵のようなライトで、足の長〜い水鳥のできあがり。

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足なが〜〜 

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夜の海は真っ黒でたぷんたぷんとして、苦手な潮の匂いがうっすらとしました。

それでもここに来ると安心する。

いつも思う。

今までこの神戸の海にはずいぶんと助けてもらったなぁ。心が風邪をひいたような時に一人でよく来た。

冬が多くて、灰色の空の下、それでも深い青の海の揺れを眺め、遠くのマンション群や倉庫やキリンのクレーンを眺め、空を眺め。風が強くて。でも寒いとか暑いとか、そういうのも感じなくて。ただからっぽになるのが心安らぐ時間だった。

じっと見た後、歩いて駅まで戻りまた電車に乗って帰るだけなんですが、そして、何も変わったとはいえない心持ちと状態の中に帰るんですが、この海にいる間だけは、心細くても怖くても静かに安らいでいて、息ができたような気がします。

淋しいなぁ。でもここに来ることが私のだいじなだいじな時間だったなぁ。

今の私がそのころの私に寄り添ってあげられたらいいのに。でも私のことだから、少し離れたところから見るしかできないんだろうな。

 

今日は旦那さんと来たよ。今のところ、淋しくて来ることはなさそうだよ。また来た時はどうぞよろしくね。だいじな場所。

インプット・アウトプット 2

こんにちは。先日の続きです。

私にとってのアウトプットは、情報や気づき、考えたことを出す、ということでした。

今回はアウトプットの別の側面「感情を出す」ということについて。

 

…といいつつ、もともと私は「感情を感じる」ということがよくわかりません。苦手と言ったらいいのか、なんだか非常にぎこちない。感じにくいものだから、それを出すことも苦手なたちです。
内から湧いてきたものが一体感情なのか? 思いなのか? 考えなのか? と悩んでいる間に、湧いてきた瞬間の鮮やかさは消え去り、しばらくたってあれは感情だったのかなぁと考える、そんな感覚です。

複数の人と話している時など、同じように迷っている間に次の話題に移って置いてかれてることもよくある。

 

うんと小さな頃はこうじゃなかったんだろう、多分。でも小学生以降はなんかボーッとした、あまり感情をおもてに出す子どもではなかった。暗い子、何考えてるかわからない子、と母親に言われたことが何度もある。(ひどいな)

だからといって、内面も何も感じてなかったわけではないと思う。母親にそんなこと言われて傷ついたし、でも「感情的」な状態にはどうしたってなれないし、だから何も言われたくなくて演技したり、余計に気持ちを出すまい、となっていったような気もする。

高校生になってから、ようやくものごころついて、こんな「暗い子」はいやだなと、努めて、楽しい・面白いを外に出すようにしてきた。明るい声でアハハと笑ったり、人と話す時は多くあいづちを打ったり共感の言葉をかけたり。

人と話す時に手のひらを広げて机に置く、といったことも意識的にしていた。文字通り、手の内を見せる、というようなオープンな気持ちでいた。はじめはドキドキで、ドーンと当たって砕けろという気持ちで臨んでいた。

文字も、努めて大きくのびのびと書くようにしたり、歩く時も大股ではつらつと歩くようにしていた。自分の内側から広げていこうとする感覚だった。
努めて一生懸命やっていたら、できるようになった。そうして、自分を作ってきた。

それが自我の表出だったのか、母の呪いだったのかはわからない。私は私の考えでそう行動したのかな。暗い子だって思われたくなかったのかな。わからない。でも変わったことは母親にもわかったらしく、とたんに「明るくなってよかったわー」とか言ったな。こんな「演技的な私」の中身を理解することなく、表面上の私によかったとか言ってる。なんだ、認めてほしいと願っていた母親ってこんなもんだったのか。たいして嬉しくないな。もう、自分の感性を押し付けてくる母の理想とするような私にはなりたくないな。けれども努めたかいあって、実社会では人や場に合わせて明るく振る舞うことができる私ができていった。

 

私が本当の意味で感情を出せたのは、実家から出た時だ。正確には今の旦那さんと再婚して以降だ。だから8年くらい。

それまで自分はネクラだと思っていた。心底暗い人間なんだと思ってた。

ぜんぜん違いました。今の旦那さんと再婚して、はじめて自分の根っこの明るさと、感情がいろいろとあることを知りました。そして、演技しなくていいことを知りました。楽になったし、自然に笑えたし、飾らなくなった。すぐに自己否定するクセはなくならなかったけど、ずいぶんと手枷足枷が外れた。

そして「暗い」私を、私自身は好きだったことに気づいた。「暗い」とひとことで言っていますが、「遠慮深い」「思慮深い」「軽はずみでない」「おとなしい」「静か」「穏やか」といった、私がなりたい、と望むような素晴らしいところがたくさんあるのです。

 

「感情を出す」ことは私には難しい。今までの来し方を振り返るに、どうしても子どものころのことが出てきて、よって母のことも出てきたが、今はそこまで恨みに思っていません。好きではないが、母なりの愛情表現だったのかもしれない、と判断はできます。(いやだけど) 

母がきっかけではあるけれど、でも一生懸命に努めて、自分を作ってきた「自負」はあるのです。

初めは母や人の目を気にしてやっていたけど、途中から、自分を広げることが自分の充実になることに気づいて、不器用に試行錯誤してきたその「自負」は、今の私の「自信」と「強さ」になっている。ちっぽけなものだけど、私だけのものだ。

 

しかし「感情を出す」話から母のことになって、いまだひっかかっていることが大いにあるんだなと気づきました。母もしくは私が死ぬまでになにかの答えが出るのかどうかはさておいて、考える時期が来ているのかそれともお盆という微妙な時期だからそんなことを思ったのか。

 

「感情を出す」ことは、まだよくわかっていない。出せたらいいし、出せなくてもいいや。それが私なんだから、それでいいんだ。

「個性」のあり方の違い

こんばんは。

 

今回の表題、「個性」について、めっちゃうなずいた記事を書いておられるブログを発見したのでご紹介します!

ほかの記事もとっても面白くてずんずん読んでしまいますよ〜。

『くらしの旅あるき』ももせいづみさん(コラムニストさんです)のブログです。

http://izoomi-momo.jugem.jp/?eid=1243714&target=comment

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私が今も違和感を感じていること、解きほぐすようにして書いてくださっています。

言いたかったけど言葉が出てこなかった、モヤモヤが晴れるような気持ちになりました。

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ほんとにもう、「普通」っての、やめませんか。それを人に強要するの、暴力ですよ。「普通」の権威を嵩にきてるつもりで、そんな一瞬で変わるようなもので自分を縛るの、楽しいですか。自分から目をそらして、誰になりたいんですか。と強く思う。

自分に言い聞かせます。

インコって面白いですね〜

こんにちは。

オカメインコのうめさんは、いろいろ「しゃべる」ようになりました。

今のところレパートリーは10種類くらいですが、生後半年ほどなのにこんなに「しゃべる」ものなんですね〜。これからも独自のアレンジを加えて増えていってほしいです。

・《New!》うめちゃんイイコ!

→ 実際は「メチャンコ⤴︎」って感じで、飼い主が聞かないとわからんワードです。「うめちゃん、イイコね」と呼びかけていたらある時急に言い始めてそれからは連呼です。

そしたら以前まで言っていた「やったー」がなくなるのかな、と思いきや、フルコーラスしゃべりっぱなしです。

♬ メチャンコ⤴︎ ゴゴゴ やったー チッチッチ ヒュッヒュー やったーやったー メチャンコ⤴︎ メチャンコ⤴︎ クルルル 

…いやもう、ごきげんならそれでいいです。 

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理解に苦しむのはざっくりしすぎだからだ

こんにちは。今日はHSPについて気づいたことです。

夫が言いました。「HSPという分類はざっくりしすぎてる」。ぴかーん💡

 

そう! ひとくくりにできないのに、ばくっと「HSP」でまとめちゃうからわかんないんだ!

 

どういうことかと言いますと、HSPの項目の中には、分野ごとにたくさんの項目があるのだと思うのです。

項目 ー 項目(少し細かく)ー項目 (もっと細かく、かつ多く)……

例として、私が気になる「音」に注目すれば、それは「大きさ」なのか「音波」なのか「振動」なのか。「人の声」なのか「車の音などの機械音」なのか。音でもいろいろありますよね。

「音」だけでなく、ひとつひとつのチェック項目を、もっと細かく、そして感じる度合いの深さや頻度や種類など、それぞれをクローズアップして見ていかないと、本当にその人がHSPなのかはわからないと思った。

今の分類では大きすぎて乱暴

この、大項目だけで本やらサイトに載ってるから、「あ〜当てはまる〜」人口が多いんだと思うのです。どこに、どのくらいで当てはまったのかを理解しないと、対処法もわからないし、同じHSP同士でもわかりあえない。

例えば、音に反応する私と、人の気持ちに敏感なあなたとでは、同じHSPでも違いすぎませんか?

項目も違えば、強弱、深度、濃淡、感じる頻度、全部違う。

「HSPあるある」を聞いてもイマイチわからなかったのはこういうことか。当てはまらない部分を言われても理解できないのは当然ですよね。

 

HSPって、外界(人やモノ)から受け取る受容体が細かく鋭敏で、いつもアンテナが立っていて、人の声の調子や含まれる「気(怒気とか)」、空気やその場の雰囲気など、目に見えず言葉にしづらいものを大量に全身に浴びているんだと思うんですよね。

ただそれは、受け取る受容体が、どの分野で発達してるか、の違いであって、項目が違うだけでみんなHSPとも言えるし、HSPとも言えないんじゃないか

分野による受容体の違いとは、つるんとしてるか、小さな突起がたくさんあるか、というような違い。

つるんとしてると、そこに当たったものは弾かれたり滑って落ちたりします。水だってさらっと流れ去る。内部には入りにくい。

小さく細かい突起がたくさんあると、いちいちその部分に引っかかるし、スムーズに流れてくれないし、留まる。じわじわ内部にも浸透してくる感じ。

これがその人それぞれで、感じやすい分野・感じにくい分野、そしてさらには、感じ取りやすい分野・苦手意識のある分野、などにも分かれ、ここにも濃淡があるのではないか

 

そして、内部(心と身体)に入ったモノが、体内で影響したり、心での捉え方を変化させたりする。

お腹が弱い → <身体>元気な時なら大丈夫でも、不調の時に冷たい物を食べる → 過度に反応してもっと痛くなる → <心>やっぱりダメだ…みたいに捉えてしまう → 私はお腹が弱いから〇〇できない、のように心がセーブする …

私は心が傷つきやすい → 人に何か言われた → <身体>元気な時なら気にしないけど、不調な時や気になっている時は過敏に捉えてしまった → <身体>頭が痛くなったり、胃が痛くなったり、言った人をみて緊張する、ビクビクする、などの反応 → <心>恐い、拒否反応、「いつも」こうだといった認知の歪み → 私は傷つきやすい、などなど……

簡単に乱暴に(笑)書きましたが、同じようなことが起こったら同じ反応をする、と繰り返しが積み重なって、自分の身体や心が覚えてしまったのではないか。

***

私はHSP勉強会に出たことはありません。ですので上記のようなことは自明の理かもしれません。ただ、「HSPだけ」にこだわっていた時の自分の心の状態がまったくよくなかったので、なんとか突破したかった。

それで、どうせ逃れられないのであれば「HSP」を突き詰めてやる、と決意し、実際に無我夢中で「自分なりのHSP」をつかみました。するとHSPから解放された、と思えるくらい楽になりました。

枠組みをとっぱらった感覚です。そして自分のHSPを取り込みました。

以前の「HSPだから」と固まって若干排他的になっていた頃の気持ちも覚えています。不健康だ、と今なら感じますし、わかります。ひとつのことにこだわりすぎるのは、いい面も悪い面もありますが私には悪い面が出てきてしまった。

***

人それぞれ過敏に反応するポイントを持っている。

深い浅い、濃淡、広い狭い、痛みや快感、感じる頻度、そういうその人が感じている細かなことが織り交ざっている。

心や身体が反応したり感じ取ったりする時の「個性」があるだけ。

自分の物差しと、人の物差しは違うもの。感じるポイントも違うもの。同じ訳はない。

それを「HSPかそうでないか」で括ろうとするから排他的にもなるし、特別意識も生まれる。HSPだから傷つきやすい、守って、ってなるのっておかしい。非HSPはどうせ理解しないから、なんて意識でいるのもおかしい。HSPをただの自分の慰みにしたいだけならそれでもいいですが、私はそんなのはいやだ。

「HSP」分類に対して感じていた違和感。「HSP・非HSP」といった二元化への違和感。

みんな、HSPであり、HSPでない。

現時点ではこんな結論に達しました。(考えを進めたらまた書きます)

 

からだだいじ

こんにちは。

先日から鍼灸整骨院に通い始めました。腕が半年ほど前から痺れておりまして、放っておいたけど治るわけないとやっと気づいたから…。(病院嫌いなもので…)

 

施術と併せて、膝から下の両脚を「空気で圧迫する」ものと、「高温で温める」ものの両方をしてくれるのですが、これがすごい。私の中で画期的な出来事です。どうすごいかというと…。 

まず膝から下に包むように器具をつけて脚を「空気で圧迫」すると、脚の筋力がなくて心臓のポンプに頼りきり、うまく血液を流したり上へ押し上げられなかった手助けをしてくれました。全身に血が巡る。10分ほどですが、楽になったよ〜って身体が喜んでくれたのがわかった。気分が上がって、前向きな気持ちに変わった。自然な笑顔が出た。

「脚の温め」も温浴器の中の空気を60度くらいに設定してもらって10分ほど。熱いのに、暑くない。むしろ脚が温まると全身が楽になります。

 

治療も、初めは鍼(と電気鍼)を中心に、と思ってましたが、2度目の施術で身体が「怖い!」と緊張してしまった。そうそう私は緊張するタイプだった。リラックスって何?って思うたちだったな、と思い出し、今回からは指圧と「刺さない鍼(置き鍼)」に代えてもらった。治療の期間はかかるだろうけれど、私のペースはゆるやかめなんだろうなって思っている。

 

私も世の女性たちと同じく、三十過ぎてから体温は35度台、上半身(特に頭)は熱く感じるけれど下半身は冷えている、運動不足、貧血気味で血不足、胃も弱っていて栄養を取り込めない、だから体力もつかず免疫力も弱い…。書いてて悲しくなってきた(笑)そんな感じです。 

今まで身体の声を聞いてなかったな。聞こえてても、外国人が話してるみたいで、さっぱり理解できなかったなぁ。今だってわかってない、聞いてないことはいっぱいですが、ようやく身体を優先していこうと決めました。

というのも、心の不調 … 焦り、不安感、イライラ、モヤモヤとした思い、落ち込み、これらぜーんぶ、身体の不調からきてるってわかったから! 

心ばかりにフォーカスしてたら悩みはひどくなる。なんでなんで?ダメだダメだ、って言ったって悩みはなくならないし、身体の元気を取り戻してから悩むべし。ってことにようやく気づいたから。

 

漢方の勉強してよかった。

「漢方」(東洋医学)は、日本から見た「蘭方」(西洋医学)の対義語みたいなもので、かつ、中医学(中国の医学)ではなく日本の気候や農作物に合わせて発展してきた「日本の」ものです。

料理だって、中華料理のように油っぽいものが続いたら、あっさりしたものを食べ続けてきた日本人は胃が負ける。日本人の体質に合わせて発展してきたものなら、大元は中国とはいえ、理解しやすい。中国のもの、のままだったら理解が難しかったかもしれない。

 

そして、知ることは楽しいことですね。なんにも知らなかった頃から見れば、今少しだけでも知識が蓄えられて、生活に活かすことができてる。私には大きな一歩。充分すごいことだ。

がんばろう。自分の中の種まき、やってみよう。

いつか私らしい花が咲きますように。