ことりのように

旦那さんと文鳥とオカメインコと暮らしています。日々のこと、思うこと。ことりのように自由にはばたいていきたいです

コーヒーとケーキとおしゃべり

2月は私の誕生月です。同じく2月生まれの年下の友人と久しぶりに会いました。

10年以上もの付き合いのなかでいろんな話をしてきましたが、どんな話であっても、「話す」ことっていいですね。

知らない間に心の隙間を埋め尽くしていた、生活や思考や記憶の残滓のようなこまごましたことが、話を聞き、話をすることで重さや濁りがなくなり取るに足らないものになり、パラパラと体内からはがれ落ちてくれたようです。すっきりしました。

誕生日だしケーキを食べよう、と、ケーキ屋さんを探すけれどどこもいっぱいで、一人でたまに行っていたコーヒー専門店に入りました。

飲食店の並ぶ地下街の一画、通路も兼ねたような場所なので一見落ち着かないところです。

けれど、人の手で入れてもらうところも間近で見られるそのお店のコーヒーは、味はもちろんおいしいのですが、滋味深いといいますか、コーヒーを飲む楽しさも味わうことができます。

客層も落ち着きがあって、一人または二人連れで来られる方が多いので話し声も静かで、そういえばBGMもほとんど聴こえないくらいに絞ってありました。

そして食べたケーキは、華やかな春のケーキが並ぶお店のものと比べるととっても地味でしたが、とってもおいしいものでした。

一人でも気持ちがほぐれるようなコーヒーを飲めるところですが、今回は話のできる友人と一緒にいたから余計においしく感じたのでしょうね。

こういう心が休まる場所、もっとたくさんほしいな。そして、心置きなく話せる友人の笑顔をもっと見たいな。いろいろありながらも、それぞれ一生懸命暮らしているんだな。

優しくあたたかい気持ちがじんわりと湧いた一日でした。

2月半ばのことり成果

冬の冷たい風がビュービュー吹く日に、いつもの公園へ行ってまいりました。

葉を落とした木々のあいだ、生い茂っていない枯れ草色の地面、池の上、…やっぱり鳥を探しやすいのは冬ですね!

行った甲斐あり、たくさん見ることができて、心あったか、満足して帰りました。翌日もホクホクした気分です。

前回は1羽も見つからなかったツグミ、今回は一気に15羽を確認! 急に多くなった…笑

冬鳥といえるのは、貴公子ジョウビタキのオス・メス、くらいでしたが、それでもいい。通常メンバーであっても、今のその姿を見られるのは、今この時だけだから。

今回のハイライトはシジュウカラが1メートルくらいの近さでサービスしてくれたこと。木の幹に止まって皮をはがし、枝の上でなんか食べてました。胸からおしりあたりまで黒の羽が目立つきれいな個体で、じっと見ていても物怖じせず近くにいてくれた。でもジュイジュイ言われましたが。

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水面では、顔の緑が鮮やかな、マガモなのかヨシガモなのか(ヨシガモは迷鳥だそうなので出会う確率は低そうですが、もしそうだったらラッキー!)がいました。

あとはカルガモアオサギコサギハクセキレイ、モズ、ムクドリヒヨドリキジバト。おなじみメンバーです。

そうそう、梅が咲き始めていました。

ロウバイは終わりかけ、梅の赤・紅がはじまり、白はまだつぼみが多く、でも遠目に見ると花の色であたりがぼんやり明るく見えるような景色でした。

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ケリを見た

小さな川の堤防にケリがいました。

夫婦なのか二羽いて、すらっと長い脚が明るい黄色で印象的でした。

次の日にも、大きな川の堤防で出会いました。

ケリはハトよりは大きくカラスよりは小さいサイズで、本当にケリケリケリ…と鳴くんですよね。

出会えてうれしかった。

鳥との出会いは一瞬です。その一瞬を逃すともうそこにはいない。飛び去ってしまう。

だから普段使わない集中力と眼力(?)をもって特徴を必死で捉えようとしてしまいます。

そして、個体の大きさ、いた場所、季節、一羽なのかペアなのか、などなどを、本などで蓄えたデータと照らし合わせ、これは〇〇だ!と知るのが、非常に楽しいのです。

今この時の出会いは一瞬であり、特別なものだから。クサイ台詞ですが、鳥に関してはほんとにその一瞬を逃すとたぶんもう出会えない。

冬は、道路を舞う落ち葉に心臓が止まりそうになります。目の端にひょいと落ち葉が出てくると「わぁっ」と目が飛び出るような心持ちになります。

あのもんどりうつような動きや色合いが、スズメに見えるんですよね…。

先日Twitterで「飼い主の心臓に悪いペットの寝相コンテスト」の画像を見て大笑いしたのですが、犬、猫、うさぎは笑えても、鳥は本当にお亡くなりになってるように見えて(静止画像ですし)、心臓に悪かったですよ〜。

本日は鳥にまつわるなんでもない話でした。

節分、そして立春

新しい一年のはじまりです!

昨年の節分の日に、それまでとは生き方や生活、意識がガラッと変わる出来事を自ら起こしました。

これまでと変わる不安とか心配とか、自分を貶めるような思いとか、気持ちが暗くすさむこととか、なんだかんだ知らない間にがんじがらめになって自分に苦行を課していた、それらぜーんぶとおさらばしました。

さっぱりすっきりすがすがしい気持ちになったことを覚えています。それから一年経って、ほんとうにおさらばしてよかった!と思えています。

自分で決めたこと。勇気を出したこと。我慢はやめたこと。そうしたことはすべて「私を大切にする」ということだった。

「私を大切にする」ことで、失うこともあったけれど、得たものの方が断然多く、実りある一年だった、と満足しています。

「私を大切にする」ことで、自分への意識が変わり、一年かけて少しずつなにかが変わっていきました。

変化する、成長することって楽しいし面白い、と実感しました。自然も人間も、ゆっくりであっても確実に変わっていくし、変わらないものはない。

今まで抱いていた変化への戸惑いや不安より、変わっても変わらなくてもどちらでもいいけど、できたら私はもっと成長し、よい方を目指して変わっていきたい、と思うようになりました。

そして、とても苦手だった「楽しむ」ということも、うっすらとですが心でわかるようになってきましたよ。

これから私はどんな風に進んでいくのかな。気の向くまま、歩いていこう。

〈ピヨ通信〉寝ぐせの文鳥ピヨスケくん

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たたずむピヨスケくん、今日は頭に寝ぐせがついています。

初老になりつつあるピヨスケは、体重も30gあったのが今や26gほど。首まわりの羽もずいぶん薄くなり、食べるシードの量も少なくなってきました。

今回の冬は以前より寒く感じます。ペットヒーターも、電球のものと、ケージ側面につける「面」のものを増設しました。

それでもケージ内の温度は22℃くらい。サーモスタットは30℃に設定しているので最近はずっとサーモが切れることがありません。

なるべくヒーターの側にいてほしい。

鳥の「老い」に向き合うのは初めてです。以前飼っていたオカメインコのチョコは青年期あたりで亡くしてしまったので、今回ピヨスケがどんな風に変化していくのか、油断なくつきあっていけたら、と思っています。できればこのまま寿命をまっとうしてほしいです。

そこで、昨年こんな本を見つけたのですぐ買いました。

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『うちの鳥の老いじたく』細川博昭氏/誠文堂新光社/2017年11月20日発行

鳥の飼育本も以前よりは数量が出始めてありがたいですがどうしても内容は似たり寄ったりなので、「老い」に焦点を当てたこの本は、今まさに私に必要な本でした。

ことりたちが老いる、ということは、それまで命の危険なく安心して暮らしてきた、ということでもありますね。

穏やかに過ごしてもらえるよう心を配らなくては、と気持ちを引き締める思いです。

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楳図さんおめでとうございます!

楳図かずお大先生が、フランスでの国際漫画フェスティバル「遺産部門」で受賞!

受賞作品は『わたしは慎吾』

内容もさることながら、この作品は「扉絵」が美しいんです。楳図漫画が美しいって? 恐い絵のイメージが先行してると思いますが、楳図さんが描く女性はとてもとても美しいんですよ。

この作品は「少年・少女=子どもたち」が大人へ移行する、グラグラするようなあやうさや、成長に抵抗する強い思い、子どもと大人の間の曖昧な時間を描いているなぁと感じますが、こうして“ 時代を超えて残しておきたい作品 ”として認められたということですね!

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180129-00000061-nataliec-ent

才能があり、表現できる力があって、でもそれがあっても継続し積み重ねてきてくれなければ読めなかった作品がたくさんあると思います。コツコツとずっと努力し続けるとは、とても難しく尊いものだと実感します。

楳図さんの絵や物語は楳図さんにしか描けません。もう81歳になられるんですね。これからも好奇心いっぱい元気いっぱいでご活躍を願うばかりです。

こんなニュースを聞けるとは、30年来のファンでよかった。

あのころの自分と

2012年に亡くなったニュージーランドの児童文学作家マーガレット・マーヒー。

学生時代、授業で毎週読書レポートを提出する課題がありました。厳しい英米児童文学専門の教授に唯一そのレポートを褒められたのが、マーヒーの『足音がやってくる』でした。

私にはマーヒーは、『足音がやってくる』と『めざめれば魔女』です。(この2冊より『魔法使いのチョコレートケーキ』がよく知られている作家ですね)

人とは違う力を描き、不思議で、怖くて、不気味で、暗くて、でも力強い。

あらすじはほぼ忘れていますが、強い影響を与えた本で、その感覚は忘れていません。

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児童文学は、つきつめればほとんどが「主人公の成長物語」だと思っています。

主人公が思いがけないことから冒険に出て困難に遭い、それでも挑戦していく。引っ込み思案だった子がその冒険を通して自分の力で自分の道を切り開いていく。ひとりで、または仲間たちと、誰かの助けを借りたりしながら乗り越えていく。

時間は止めることができない。主人公の時間も止められない。否応なしに大人にならなくてはいけない。広い世の中に自分の力で出ていかなければならない。

高校を卒業してもまだモラトリアムだった私には、児童文学を読むことは、いずれは見たことのない世界に行かねばならないんだ、ということを知りつつ、でもいまだ怯えながら、そろそろとその準備をするための震えるような時間でした。

児童文学には古典、名作といわれるものがたくさんあります。それらはいまだに名作で、あまり入れ替わっていない、という印象です。古典は消えずに今でも読むことができて、しかも面白さもそのままです。

くまのプーさん不思議の国のアリスナルニア国物語床下の小人たち、モモ、はてしない物語…数え上げられないくらいたくさんあり、それらは宝物です。

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いつのまにやら、みずみずしい感性は身の内へと深く潜り、「あのころのように読む」ということは難しくなりました。

けれど今また読めば、あのころの感受性はもうないのだけれど、人生への切ないような心持ちや、知らない世界への畏れや不安を抱えて縮こまっていた自分に会える。それなら本の世界と一緒に、そのころの自分ごと抱きかかえて、そっと大切にしてあげたいなぁという気持ちになるのです。

う〜ん、マーヒー楽しみ!